Sunday, October 13, 2024

ピションのモツレク - Mozart Requiem by Pichon

 


一月ほど前、ピション/ピグマリオンの新譜「モツレク」がリリースされるという予定に遭遇し、Presto Musicで各楽章を少しずつつまみ食い試聴できて、とても丁寧に音楽を作っていると感じた。そこで発売日を待って、9624ファイルをダウンロードした。

ピションの解説文はカート・ヴォネガットの引用で始まる。
‘No art is possible without a dance with death.’
まさに「踊り」の趣が支配するドラマ仕立ての『レクイエム』という印象だ。
モーツァルトの他作品を組み込ませて舞台を作り上げる構成と斬新さで、その背景を知るにはやはりライナーノーツを訳しておきたいと思った。内容的に厄介な相手ではあったが、英語訳も参考に読みつつ、フランス語本文を追って訳してみた。

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逝ってしまったモーツァルトの音楽           ラファエル・ピション

                  「どんな芸術も死との踊りなくしてはあり得ない」

カート・ヴォネガット、「スローターハウス5」より

 

契約の箱[十戒の石箱]

偉大な作品を分類して、カタログにしたくなるのが世の常だ。ところがどっこい、モーツァルトの『レクイエム』の独自性はその多様性の中にある。1791年、彼は比類ない音楽的才能に恵まれながら、ウィーン市からもパトロンからも見放され、借金の恐怖に怯え、貧しさの中で生き延びようとしていた。フリーメーソンに入り、真の啓蒙主義者に生まれ変わって以来、モーツァルトは宗教的な大作をほとんど書いていない。最後の作品となったミサ曲ハ短調K4271783年)は、コンスタンツェとの結婚を記念して作曲されたが、未完に終わっている。この作品でモーツァルトは、バッハとヘンデルを発見して学んだことを取り入れ、息をのむような壮大な表現力を持つ対位法的な新しい語法を定義した。モーツァルトは晩年も数多くの宗教曲の写譜を続けているが、それは彼がこの対位法という遺産を大規模な新作の中で発展させようと考えていた可能性を示唆している。『レクイエム』の委嘱は、まさに、適宜を得た時に届けられたのかもしれない。

 

この『レクイエム』は、ヨハン・ヨーゼフ・フックス(1660-1741)やハインリヒ・イグナーツ・フランツ・ビーバー(1611-1704)に始まり、ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)に引き継がれた純ドイツ的でカトリック的な歴史の流れを引く繋がりの中に位置するもので、モーツァルトはハイドンの美しいハ短調のレクイエム(1771年)を何度か聴いたことがあり、それは多くの点で後に彼が作曲する『レクイエム』に似たところがある。こうして『レクイエム』は、その言語と規範を通して、伝統の中の最高位に到達した。この作品は30年近く作曲を続けて来た作曲家の後世への遺産と記憶を汲む遺作なのだ!さらに、この作品はモーツァルトが後年オペラで取り組んだ長い人間探求の集大成であり、オーケストラを登場人物として加わる役に引き上げ、しばしば、人間の魂の言葉にならないことや陰の部分を表現するために、最も複雑な登場人物にさえした。ニ短調の調性やセクエンツィアのページを、『ドン・ジョヴァンニ』の騎士団長の身の凍るような登場、あるいは『魔笛』の夜の女王の暗黒と関連付けないでいられようか?

 

しかし、『レクイエム』はモーツァルトの歴史と作品の中でも特別な位置を占めるものでもある。未完成ではあるが、普遍的な言語の最も力強い音楽的表現のひとつだ。古来の旋律を用いながら未来を見通し、神聖世界と世俗世界とを綱渡り的な行動で融合させて新たな道を切り開き、当惑させるほどの真摯さで典礼文を奉じ、教義と人間のいずれかを選ぶことなどない。従って、この曲は、過去を呼び起こし、未来を描く音楽作品であると同時に、人間の生に対するモーツァルト自身の展望と死との間の、まさに「契約の箱」でもあると思われる。作曲者は『レクイエム』の受嘱後、作品の完成を最優先することはなかったが、自分の死が迫っていることを確信したことが、咄嗟に彼をその作業に立ち返らせたようだ。それは、命が尽きる直感と重なって、未完成となる恐れを感じる時だ・・・。

 

生の謳歌

作品の入口に来ると、フリーメーソンを象徴する音楽の中心的楽器、バセットホルンとファゴットという明らかに象徴的な選択を見る。それらの同胞愛のメッセージが開始小節の性格を決定づけており、モーツァルトが自らフリーメーソンにすべてを委ねることにして以来、彼は自分がそのメッセージの守護者と考えていた。彼の『レクイエム』は何よりも、神への忠誠以前に人間性への忠誠を表現したものとなるだろう。慎ましく、柔和な太陽が人への優しさでほのかに色付く。ここで、手法は大きく異なるが、モーツァルトはバッハと合流し、慰めの光の可能性を我々に感じさせる。モーツァルトの最も感動的な手紙のひとつに、死を無邪気な素直さで、「人間の最良の友」と形容したものがある。この「友愛的」な定義は、『レクイエム』を理解する上で大いに役立ちそうだ。

バッハがその天賦の才によって、個人と集団の言葉の補完性を受難曲やカンタータの中で操ったのとまさに同じように、モーツァルトは共同体を仲介にして、我々に個人的に訴えかけているかのようだ。そこで合唱が、離別の物語とも言えるが、死を前にした肉体的な本当の恐怖の物語の中で主役となる。セクエンツィアの大きな震えは、神の怒りに対する恐怖よりも、直接触れる身体的な恐怖感を伝え、それはほとんど生物学的な恐れだ。

 

楽章は全体として、その多様性と相補性の中で、「死は、それを間近で見つめれば、生命の目的地である」という人間像を描いているかのようだ、とモーツァルトが我々に語る。この作品は、陰鬱で出口のないラメントとは逆に、生ける者たちを舞台に上げ、生の謳歌を通した人間存在に対する彼の大讃歌となっている!

 

2019年の出会いと公演(エクス=アン=プロヴァンス音楽祭のアルシェヴェシュ劇場での『レクイエム』上演)がこの作品に対する我々の経験をさらなる混乱と解体に導いた。その創作時から疑心暗鬼だらけという、例を見ない危険なプロジェクトだったが、最終的には現代舞台の最も偉大な詩人のひとりロメオ・カステルッチの深層にまで及ぶ解釈のおかげで、この永遠の作品が持つ「果てしなさ」を力の限りの大きな叫び声とした。この場合、ロメオ・カステルッチの劇は『レクイエム』と深い血の繋がりがあるように、私は感じる。両者とも、光、液体、象徴、対立、引力と斥力、そして人間と戯れているのだ。合唱が一音ずつ飽くこともなく踊り続ける光景を通して、我々は今や『レクイエム』を祭典で流す汗の中まで体験し、そこから変貌して戻って来たのだ。

 

メメント – 記憶

伝統と遺産(音楽構造、対位法の作例、あるいはさらに単線律聖歌の影響など)を掻き集めて、モーツァルトは記憶されるべき枠組みの中に自らを刻み込む。となると、彼自身の記憶と、この遺言的作品の個人的な道程という問題が残る。とりわけ私にとって驚きだった例は、キリエK.90に遭遇した時だった – この録音では、Miserere mei(詩篇51[50])の冒頭句に歌詞を置き換えて、『レクイエム』の開始楽章の直前に置いた。その短い作品は恐らく1771年に彼が15歳の時 – マルティーニ神父に対位法を学んだ2年後 – ザルツブルクで書かれたもので、モーツァルトはパレストリーナ的な様式の記憶を引き出して、対位法をドリア旋法で展開しようとしていた。この短い譜面が、天才モーツァルトに相応しく、戸惑うほどの自然さで、毅然として進行すると、このポリフォニー作品の最初の小節はティーンエイジャーの若者が書いたもので、それもニ短調で、20年後に彼の偉大な「死者のためのミサ曲」が扉を開く時の極めて特徴的な輪郭と雰囲気を持っていることに気づくと、計り知れない衝撃を受ける。この発見は、私が『レクイエム』に取り組むためには避けられない選択を即座に促した。作品には多くの可能性があり、どのようなプログラムがそれを取り巻き、完成させるのかという構成、あるいはスコアをどの「版」にするかなどだ。

 

未完の傑作を作曲者の死後に完成させることが論争や批判を招くことは避けられない。この作品のスコアについて、20年以上の経験を重ねたことで、ジュスマイヤーが完成させた『レクイエム』がモーツァルトが仕上げようとしていたものと非常に近いと私に確信させた。音楽学的な疑問に深入りし過ぎることを避ければ、ジュスマイヤーはOffertorium以降の楽章について、数多くの口頭での指示を受けたり、今は消失したスケッチもあっただろうというのは、私には明確なことと思われる。ジュスマイヤーの他の作曲についての詳細な研究では、このような感情表現力のある作曲をする想像力が彼には見当たらないことが示されている。Agnus Deiを聴いて見ると良い!この楽章のエッセンスが彼に伝えられていたことは、私は明白だと感じる。CommunioIntroitusの音楽に回帰するところは、まばゆい変ロ長調の調性で輝いていることを指摘しておこう。その選択は、しばしば弱点として批判されたのとは裏腹に、ミヒャエル・ハイドンの『レクイエム』でも尊重された伝統に則ったもので、そこではほぼ同一の手法を用い、作品の循環性という特徴を美しさと強さとともに採用している。

 

しかし、注意すべき例外もいくつか存在する。そのひとつがSanctusで、稀有な気品を備えた導入部は間違いなくオリジナル部分だが、その後は、Hosannaでジュスマイヤーの展開と豊かさの欠如によるいささか貧弱なフーガに道を譲る。さらにBenedictusでも、最初の部分はモーツァルトらしい香りが漂う感じだが、その後は苦し紛れの展開で方向を見失っている。天然というモーツァルトの天才にこれほど特徴的な感覚は、明らかにここでのジュスマイヤーにはないようだ。この取り返しのつかない欠如は潜在的なもので、何よりもオーケストラの生命とその繊細なディテールの中で見られるものだ。生命、脈動、そして色彩というこのオーケストラの特性が、『レクイエム』の最初のいくつかの楽章を特別な魔法の下に始動させるが、次第に衰退していくようだ。そうした厳然たる事実があるにもかかわらず、ジュスマイヤー版は2世紀以上もの間、その途方もない資質とその不完全さとをあわせ持って、多くの男女に記憶されてきたので、最も普遍的なものになっていると私は思う。その可塑性と色彩が、ささやき声であれ叫び声であれ、消えない刻印の証しであり、それを『レクイエム』が私たち全員に委ねる。選択はなされた。心の選択だ。

 

私は〔作曲の〕完成という不可能な探究よりも、この記憶の作用から、時をたどるこの旅から、一筋の糸を引き寄せたいと考えた。こうして我々の旅は単線律聖歌で始まるのだが、それは太古の昔という時間表現であり、また子供の声の佇まいを通した生の時間表現でもある。初めのIn paradisumは、通常カトリックの礼拝では埋葬聖務Officium Defunctorumを締め括るものだが、最後までそれを歌えないというのは、我々がまず生を祝う集合的経験を求めているからだ。そのため、この歌は『レクイエム』を性格付ける重要な合唱(Miserere mei K90)に引き継がれるのだが、そこにソロの4重唱が思いがけず割り込んで、短いカノンAch, zu kurz ist unsers Lebens Lauf K228/515b(ああ、我らの人生のなんと短いことよ!)が歌われる。『レクイエム』の作品自体の中においても、モーツァルトの生涯に輝きを添えた貴重な他の作品の記憶との対話が、鏡の作用を通して時として混乱を見せつつ作り出される。以下の曲が並ぶ。Ne pulvis et cinis K Anh.122の驚くべき展望、Thamos K345への偶発的な音楽からの引用(この時モーツァルトはわずか17歳!)、Solfeggio K393/2の小品を発端にしてハ短調ミサ曲K427Kyrieにおける主題の要素となるはずのスケッチ(もしくは習作)、器楽曲の傑作のひとつグラン・パルティータK361のアダージォの編曲(編者不詳)をここでは予想外の天使的なモテットの形で聴く(Quis te comprehendat K Anh.110)。そして最後にこの作品の震央、‘Lacrimosa’に続く未完の空白部、おそらくSequentiaの締めとなるよう意図されていたであろうアーメン・フーガのスケッチ(わずか数小節)を体験することだ。‘Domine Jesu Christe’の生命力で始まるOffertoriumが誕生するのは、この音楽のブラック・ホールからだ。

 

時を生き、膨大なエネルギーを発散した後で、この旅の終わりに、我々は最後に始まりのIn paradisumに回帰することになる。旅がこれで終わりに至ったということなら、その歌声は人類全体の表現でもあることを最後のこだまが我々に思い起こさせてくれる。

 

 

 

「死のことを深く考えてみると、それは我々存在の真の目的で、私はここ数年間、人類の最良にして最高のこの友人と非常に親しい関係を作ってきたので、そのイメージはもはや私には恐れではなく、本当に癒やされ、慰められるものです!

 

そして私は神が私に機会を用意してくださり(お分かりですよね)、それが私たちの真の祝福への鍵であることを悟り、この幸運をお与えくださったことを神に感謝します。私は夜ベッドに向かう時、もしかすると明日私は(どんなに若かろうが)存在していないかもしれないと考えないことはありません。それでも、私を知る人たちの中で、私の態度が気難しいとか、悲観してるとか言える人は誰もいません。

 

私は毎日わが創造主にこの祝福に感謝し、それが私の仲間の人たちすべての上にもあることを心から祈ります。」

 

178744日、病気の父に宛てたモーツァルトの最後の手紙

Friday, April 5, 2024

Gardiner's Third Recording of "Johannes" - ガーディナー3度目の『ヨハネ受難曲』

 


ガーディナーのヨハネはArchiv盤もSDG盤も持っているし、YouTubeでライブも観られるので、この3度目の録音は焦って聴くこともないだろうと、ここまで手を出していなかったのだが、歌詞をどう歌っているのかどうしても確認しておきたい曲があって、ようやく購入することにした。元々それよりも、Blu-ray AudioでDGGの5.1サラウンド録音がどのように処理されているかも職業病的な関心事だった。

BDディスクにはPCMの他にdts-HDとDolby Atmosのトラックがあり、まずはハイレゾのdtsで再生を始めたが、音場が異様なので各チャンネルの出力を確認して行くと、右サラウンドRSのスピーカーから音が出ていない。DGGがそんなヘマをするとは考えられないので、機器のチェックを始めることにした。しかしアンプはOKだし、他のディスクで問題はない。そこでDolby Atmosのトラックに切り替えてみたら、何とすべてのチャンネルからちゃんと音は出るではないか!

ということで、もう少しこの問題は掘り下げて見ようと思う。

その後➡国内販売元のユニヴァーサルでは「輸入商品の問題は発売元へ」と予想通りの答で、DGGには4月に問題指摘のメールを送ったがなしのつぶてです。


Monday, June 12, 2023

Julia Fischer's Bach - ユリア・フィッシャーのバッハ無伴奏

廃番のSACDを中古品で入手したら、ジャケットなど印刷物がペラペラのコピー紙だったので、ネットでオリジナルのデータを探して本物らしいスリーブやトラックリストを作ることにした。少し前に諏訪内の新アルバムが落胆に終わったのを埋めてくれたのがフィッシャーで、しっかりとした技巧、もたれることなく確固とした推進力がある。この人の感性は波長が合うと感じたライナーノーツの訳起こしをしたので、一部を紹介しておこう

11歳の時、私はユーディ・メニューイン卿のコンクールでのヴァイオリン・クラスに参加しましたが、そこで彼が扱ったのはロ短調のパルティータでした。彼は当時80歳になろうとしていたにもかかわらず、今まで見たこともないようなエネルギーに満ちた人でした。フレーズに命を吹き込むための想像力!無駄な音や音楽的でない音は1つもない。装飾音のひとつひとつにたくさんのアイディアが込められていて、第1楽章を終えたときには、頭がパンクしそうでした。そのクラスの後で、その場にいた多くの同僚や他のヴァイオリン教師は、様式的に正しいものは何もなかったとか、バッハをあんな風に演奏すべきじゃないと言っていましたが、まあ、それは好みの問題でしかないでしょう。いずれにせよ、このクラスの後、私はバッハを弾くのが以前にも増して楽しくなりました。
その2年後、私はテレビのドキュメンタリー番組「L'art du piano」を観たのですが、その中にはグレン・グールドとレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏でバッハのピアノ協奏曲ニ短調の一部が放送されていました。幸運なことに、私はこの番組をビデオ録画していたので、この抜粋を少なくとも100回は巻き戻して何度も見ることができたのです。このような演奏を聴いたのは、本当に初めてでした!グールドがすべてを新たに発見して行き、まるでバッハが生き返ったかのようでした。彼の型にはまらない考え方、自由な精神、新しい道を切り開く勇気は、それ以来、私のお手本であり続けています。



The discontinued SACD I obtained was a second-hand set whose insertion was a mere sheet of photocopy paper. So I decided to look for the original data of its printed material in the net in order to create a jacket and track-sheet that look authentic for myself. 
After the disappointment with Suwanai's album a couple of years ago, it was this Fischer's album that refreshed the listening experience. The wavelength of this artist seems to resonate with mine, which seems self-explanatory in her liner notes telling her episodes with Menuhin and also Gould.
 

Friday, November 18, 2022

もみじトンネル - The Autumn-Color Tunnel

 


長らく休眠状態だったブログだが、今年の旅行のハイライトは気合いを込めて選んだ紅葉巡りで、近年はつとに人気の高い箕輪ダムに出掛けた。元々は数年前から自転車で走る計画を温めていたのだが、大病続きでめっきりトレーニングしなくなって自走するメドが立たないため、今回は友人を誘い出してのドライブとなった。11月8日は文句の付けようない絶好の天気、しかも6日までの自動車規制されていた週明けの平日、混雑はそれほどでもなかった。自然の総天然色を満喫した一日となった。

After the long absence from uploading my blog, this year, a serious autumn-color hunting trip as a highlight was Minowa Dam that is becoming so popular in recent years. Originally, my plan was to make a bicycle tour to this spot from Tatsuno station perhaps because there is no convenient public transportation, but having suffered from several major diseases in series, it seemed I wasn't prepared for a long ride these days, I suggested to a friend of mine a drive.

November 8th was absolutely a best day for such visits with a super clear sky, and considering the week before, until the 6th, all the cars were forced to park a few miles before the destination to avoid jams, while we had very small slow-traffic. Enjoyed the amazing full color of the nature!








Monday, August 30, 2021

黒部に行く - Visiting Kurobe

 


新幹線の黒部宇奈月温泉駅から生地方面のバスに乗って終点魚の駅に降り立つ。少し時間があるので生地の町を散策することにした。海産物の市場、とれたて館を見たが魚の値付けが神奈川の倍は下らない観光値段とあっては魅力は皆無だ。

1. Toyama Bay from Ikuji


この町には「清水」じょうずという湧き水があちこちにあって、味見しながら巡り歩いた。個人的なお薦めは岩瀬家の清水と神田の清水、こういう水が飲めるのは何とも贅沢。
2. Spring Water of Iwase Family


3. Shinned Spring Water

もうひとつ黒部市にはあちこち、YKKが広大な敷地に立派な施設を構えていて、世界的企業でもあるし、町の発展を下支えしている感が強い。

5. YKK Kurobe

自然の豊かさは、水辺の鷺や宇奈月方面で散見されるヤンマで確認できる。

4. Egret on the roof

6. Dragonfly

一日の終わりは宇奈月温泉。そこにこんなカフェを発見。探索は持ち越し。




Thursday, July 2, 2020

パタゴニア - Still Following Patagonia?

パタゴニア商品の価格は総じて高めだが向こうではそれほどでもないので米国に頻繁に出張していた頃にはお店にも良く行っていた。そのイメージほどに品質が抜きん出ているわけではないので今は買わないブランドだ。
例えばこのアウター、裏地の層が経年でボロボロと崩壊して、その断片や粉末が中に着ているものをゴミだらけにしてしまう始末の悪さ。それでも冬用のトレッキング上下は今も健在です。


The pricing of Patagonia fashion is relatively expensive in general but it isn't so much in the States, so I used to visit the shop when I was frequently travelled there. When it comes to the product quality, I don't think it excels as reputed, thus it remains as one of brands I now tend to avoid. 
Take this outer jacket for example, the inner layer breaks up to compound after years of use that makes my shirt or sweater I wear dirty. Look horrible, too. My coat and pants for winter trekking still maintain their good condition though.


Friday, June 12, 2020

台所のIH化 - Customizing Kitchen with IH

半世紀近く前の昔話になりますが初めて我が家を建てた時、ガス・コンベックを台所に入れました。それ以来うちでは欧州スタイルの4口ガスレンジが伝統ですが、当時選択肢は限られていて(今もそうですが)、ショルテスかロジェールというフランスメーカーの製品から我が家で選んだのはショルテスでした。

今のセカンド・ハウスのマンションにはドイツAEGのコンベックと食洗機が据え付けられていて、相当な年代物なのでガスコンロの点火が一発とは行かず、使うこちらも寄る年並みとあってカミさんから安全面も考慮してIHコンロに替えてくれとの強い要望が出るに至りました。しかし、コンロだけをスッポリはめ替えるというわけには行かず、コンベックごと撤去するとなると、カウンタートップも取り外す工事に発展しそうで、数十万~百万の出費になるだろうと予想すると腰が引けてしまいますお。そこで考えた挙句、食卓で鍋料理をする時に持ち出すIHコンロをひとつ台所に据付けてしまおうとラフな設計図を引いてみました。
ガスコンロの一部を大理石のプレートで覆い、右隅にIHコンロを設置、左手前のガスと使い分けという作戦です。これなら予算は2万程度。



これを実施してみると、今度は鍋に問題が波及します。最も多用しているT-fal28cm深鍋、26cmフライパンや雪平はIHでは使えません。雪平はともかく、すでにテフロン層も傷みが来ているT-falには代わりが必要です。実はIH対応のT-fal深鍋は26cmまでのようで代わりがなく、その結果選んだ28cm Thermosは深さ6.5cmT-fal8cmには及ばないものの何とかなるかなという深さ、そして底面がフラットなのも利点だし、T-falの取手がそのまま転用できるのも乗り換えやすいメリットです。そして最大級の評価点は半額くらいの低価格でしょう。26cmフライパンの方は、赤坂離宮監修?の鉄のフライパン(写真中央、壁面)があるのでそれで済ませるか、先々のことを考えてステップアップに挑むか、これから思案です。





When we built our house for the first time nearly half a century ago, we put a gas convec in the kitchen. Since then, this European-style four-burner cooker has been our preferred tradition although the actual choices were limited (as they still are now), and we picked Scholtes before Rosière, among French manufacturers at that time.

Our condo, the second house, has been equipped with a German AEG convection system as well as a dishwasher. Because they are very old models, the gas burner can't be ignited all at once, and I myself the user am far older than they are, my wife strongly suggested me to replace it with an electric IH system in consideration of safety. It's not actually a simple matter of dropping in a new product for replacement, but we had to retire the entire convec. Then it's likely to remove the whole countertop for modification, a drastic project that would cost nearly a million Yen! 

So, after a long thinking about it, I decided to set a small IH cooker product in the kitchen, a portable device often used on the tabletop during the dining: I placed marble plates over a part of the gas cooker and the IH one sits in the right corner. Strategically, the front-left gas burner remains in use, and this whole budget was about 20,000 Yen.

When this is done, a new problem now comes over the pots and pans. Our most used T-fal 28cm deep pot, 26cm frying pan and aluminum "Yukihira" pot cannot be used on IH. Aside from the Yukihira, the T-fal needs replacements definitely because their Teflon layer was already quite tired. Actually, the T-fal's IH-version deep pot goes only up to 26cm and there is no alternative, so I chose a Thermos while its 6.5cm depth was slightly shallower than T-fal's 8cm: I judged it manageable. Its flat bottom shape looks an advantage, and the T-fal handle continues to serve on Thermos. And the greatest is the much, much lower price. 
As for the frying pan, I am now pondering as I have an iron pan (center on the wall in the picture) or I should consider other step-up...



Monday, April 27, 2020

Origami Mask - オリガミ・マスク

先日マスクの型紙を紹介したものの実際に自ら製作することはその後なかったのだが、今マスク作りにはまっている。たまたまネットで見かけて、簡単そうだったので試してみたら、仕上がったマスクの造形に惚れてしまった。それがポーランドのアート・スクールでデザインしたと言われているオリガミ・マスクだ。
鼻から顔の側面にかけての密着性が秀逸で、甘い部分があるとすればあごの所くらいだ。そしてマスク内部の口の前に少し空間があるため呼吸の圧迫感が少ない。口と鼻の前面部はシートが3層に重なる構造で、2層となる側面も折り返しで4層が確保され、シールド効果は市販の不織布マスクに見劣りすることはなさそうだ。1枚のシートからこれほどの機能性を生み出す設計力には脱帽する。

用意する不織布は42cm x 24cm(僕の場合)、これは市販の不織布シートを貼り合わせて必要なサイズにカットする。サイズは自分に合うよう微調整すると良い。そして折り紙のスタートだ。作り方はURLリンクの動画を参照して欲しい。

本家の指定通りキッチンペーパーと輪ゴム2個があればマスクが作れるところも、緊急時等には有効な利点だろう。





I showed a pattern paper for home-made mask last time, but I did not make one myself. Now, I am deeply  indulged in making masks. I just happened to encounter with a video in the net which looked so simple, so I tried it. The finished shape was unexpectedly beautiful and I guess I was enchanted.This "Origami Mask" is  created by professor Anna Myczkowska-Szczerska who works in the Industrial Forms Department at the Krakow Academy of Fine Arts in the city of Krakow, Poland.

The sealing effect from the nose to the profile is excellent and the only the chin area would be the loose section. Since it provides some space inside the mask in front, the breathing is least resistive. The front area secures 3 layers while the sides toward ears consist of 2 layers but the folding results in 4 layers, and it does not look inferior to generally available products in the market. It is amazing design ability to create such a class of functionality from a sheet of kitchen paper!


In my case, I prepared a sheet in 42 x 24cm size with nonfabricated material to make the mask more dependable. You can find the right size to fit for yourself. Follow the procedures in the attached link below:

https://www.facebook.com/watch/?ref=external&v=2727955233982406

Sunday, March 29, 2020

手作りマスク - Handmade Mask

東京新聞に立体型マスクの作り方が紹介されていた。反響も良好らしい。


The other day, Tokyo Shinbun newspaper showed how to make a 3D-mask and its general reaction seems quite positive.


Sunday, March 15, 2020

The Last Chance to Watch Snow - 見納めの雪

草津温泉に来ている。昨日はずっと雪が降り続き、すっかり銀世界になった。3月も半ばなので今年はこれで見納めかな。

I’m in Kusatsu Onsen hot springs and it snowed all day yesterday which painted the whole world into white! It being middle of March, this must be the last chance to watch the winter scenery. 


Hotel Kusatsu approach

Ohtaki no Yu

Overviewing Mt. Shirane

Monday, February 24, 2020

Lack of Risk Sensitivity - 新型コロナウィルスと危機意識

春節に際してのこの首相の祝辞メッセージ。何の変哲もない外交辞令的な文章だが、時期をわきまえない能天気さに非難殺到で1月31日に削除されたとのこと。首相の危機感の欠如を象徴する事例と言って良いだろう。現実に北海道の感染者急増は初期の京都同様、来日観光客がランダムに落としたものが起点だろうと僕は推察する。
その後2月早々クルーズ船が入港するも、専門者会議は16日まで開かれず、しかも首相は3分で退席、その後は18日「国会に出ず会食」、19日「国会にも新型コロナ対策本部にも出ず官邸でフグ堪能」、20日「国会にも新型コロナ対策本部にも出ず会食」、21日「国会にも新型コロナ対策本部にも出ず会食」・・・と続く動静を見ればコロナ対策が先手、先手の訳がない。因みにコロナ対策予算: 香港3500億、シンガポール5000億、日本150億。
医療体制だけでは終わらない。差し迫るコロナ不況の舵取りが、トリクルダウンと嘯く以外、実体経済を強化する政策を何ひとつしなかったこの男に出来るのだろうか??



A welcoming message expecting more tourists during the Chinese New Year appeared as an ordinary diplomatic appeal by P.M. Abe, that attracted huge accusation for thoughtlessness lacking sensitivity for risks of Coronavirus and eventually resulted the deletion from the Government site on the 31st January. The recent increase of infection in Hokkaido is reasonably considered brought in by overseas tourists just like the early case of Kyoto.
The cruise ship Diamond Princess arrived in Yokohama on 3rd Feb, but the Expert Gathering was not called upon until 16th in which Abe attended 3 minutes ONLY! Then afterward, on 18th no Diet attending but meetings/eatings; on 19th no Diet nor Strategic Headquarters attending but blowfish tasting; on 20th no Diet nor Strategic Headquarters attending but meetings/eatings and so on...How can he set the effective remedies well in advance? The budget for medical actions in Hongkong 360B, Singapore 500B, and Japan 15B in Yen.
Can this poor man who only buzzed "trickle-down" of economic benefits from riches to poors without a single effective action to stimulate actual economy (consumers, etc.) pushed forward really manage the forthcoming, disastrous "Corona-recession"?

Friday, September 13, 2019

Bose QC20iのご臨終 - My Earphones died



酷使はしていないが10年を越すくらい使い続けていたカナル形のノイズキャンセル・イヤフォンがプラグ根元で断線したらしく、お陀仏した。ケーブルの被膜があちこちで裂けている状態なのだが、その遠因となったのがケースだったのではないかと疑っている。小さな入れ物にケーブルを丸めて押し込むため、ストレスがかかるのはケーブルのヘアピンカーブする部分に偏って、そこが痛んで行くのだろう。
先日、ボース直営店に修理可能か相談のため持ち込んでみた。すると店員からの回答は、製品交換での修理となり宅配代引きで1万5千円ちょっとということで、安くもないけどまあ仕方あるまいとそれで手を打った。

届いた新品の真新しいケースは前より硬めの素材になっていて、これがあと10年持つなら自分の命が先に尽きる可能性大だからそのまま使っていれば良いのだが、そこはやはり何とかしたいと思ったらもういても立ってもいられず東急ハンズに走り、ケースに代わる収納具をイメージして作ってみることにした。

直径10cmの硬めのウレタンか何かの素材を2枚貼り合わせて溝を切った縁の円周にケーブルを巻くという仕掛けで、狙いとしては一応ケーブルの長生き対策だが、使いこなせるかどうかは実証試験次第か。


Monday, June 3, 2019

血圧のことなど - Hazardous Blood Pressure and etc


Something was wrong with the left half of my body because I did not sense the hotness on the skin in the bath tub. I thought it must be with regard to the brain, and luckily I was introduced to a renowned brain doctor through a close friend of mine to have an MRI examination: It was cerebral hemorrhage!
As I recall it a couple of weeks or so ago in the kitchen, I felt funny when the hot water from the tap wasn't hot on my left hand but instead a bit aching unlike my right hand. It must have started then.

All I could do was taking the prescribe pills; the lightest one for the first month the effect of which did not look sufficient, thus another step-up pills for the second month. The blood pressure level around 160 went down to the order of 130's that is considered as a safe range so far. I should say it is a "miraculous" cerebral hemorrhage because the symptom only remained in the numbness of left foot fingers and loss of sensing hotness.

My friends invited me to a drive for change of air and encouragement in early April at which time I wanted to see how the whole thing went in my body in a calmer condition and my family just did not allow me to be too active either, but now the season got better in the mountains as well as my conditions (at least stable), so we decided to take a ride on a new Citroën that my friend recently bought.

Mountain views were all around from Mt. Fuji, Southern Alps of Japan, to Yatsugatake Peaks. A few unknown spots such as "Suisha-no-Sato" (Water wheel village) park and "Kaiganji" temple were definite worth of visits. Exhibits of "Jomon-era" (BC10000) in Archeology Museum in Hokuto City were very impressive, and the stay at Seisenryo (X: St. Andrew's lodging) was such a comfort with great meals, an absolute recommendation!

Water Wheel Village Park




Mt. Fuji and South Alps
St. Andrew Church in Seisenryo



Jomon Pottery in Archeology Museum





Gate of Kaiganji Temple 




Mt. Mizugaki

ここ数年、血圧が高いことが最初は友人宅で血圧を測って判明したのだが、年齢と共に上昇するのはある程度正常だし、体調に異変がないのだからとうっちゃっていた。とは言え、若い頃は115/75近辺だったし、さらに幼い頃には貧血症と言われていたくらいなので、上が150-160となるのはやはり気になることなので、その後手軽な血圧計を購入した。手首で測定するシチズン製品で、3000円もしなかった。数値は145-85くらいで推移していたが、かかりつけ医の所ではもっと高い数値で、「これはもう薬と付き合う覚悟が要るよ」と一番軽い処方薬が出た。2-3ヶ月続けてみたが薬効はあるかないか微妙な感じで、面倒になって辞めたのがほぼ1年前だった。

さて今年になってある日、入浴中に左半身がお湯の温かさを感じていないことに気付いた。「何だ、これは?」と感覚を確認してみたが、これは変調があると確信。同時に半身というのが脳内の問題と予想させ、MRI検査を受ける必要があるなと判断した。思い返してみると、昨日・今日より前に、台所の流しで蛇口からのお湯を手に受けていた時、右手は熱さを感じるのに、左手は痛さになるのがなぜなのかと不思議に思ったので、もう少し前に異変はあったようだ。

友人の大学時代のツテを頼って、脳外科医の権威とされる医師を紹介してもらったことで話は早く、すぐに検査の手配をしてもらった。その結果は脳溢血。しかし幸運にも患部が脳内でも不活性なエリアだったため、半身不随のような重症には至らず、足先のしびれと半身の熱感覚麻痺で済んだというのは「奇蹟の脳溢血」と言えるようだ。再発したら2度目の奇蹟はないからと、血圧管理の生活を言明された。

そんな訳で信頼性に欠ける手首型のおもちゃではなく、病院と同じ上腕型血圧計を新たに投資して朝晩の血圧測定に余念ない日々となり、最初の1ヶ月で数値は若干下がったものの発症患者としては不十分と、降下剤をもっと効果のある配合剤にステップアップしたら見事に130台の安全圏内に落ち着くようになった。

様子を心配した友人が気分転換のドライブを4月に提案してくれたのだが、動き回ると家族は神経を尖らすし僕もしばらくはおとなしく様子見をと思っていたので延期してもらうことにしておいた計画を気候も一気に初夏に近づいた5月末に出掛けることにした。目的の一部は買い替えたシトロエンの乗り心地体験というのも加えて、八ヶ岳の麓まで行って清泉寮に一泊する段取りを友人が取ってくれた。南アルプスも八ヶ岳連峰も拝め、水車の里公園とか、海岸寺とか、殆ど知られていないポイントも巡り、最後は瑞牆山まで訪ねて鋭気をもらった。縄文土器の北杜市考古資料館の展示品は素晴らしいと思った。清泉寮の宿泊は快適で食事も大満足!