Monday, May 2, 2016

若冲展 - Jakuchu Exhibition, Prelude

開場前の朝9 時に都美術館に行ってみたら、連休中の平日と言えど、列の蛇行が入口前の広場を埋め尽くして2時間待ちくらいの異常な様相。他の用事に切り替えて、後日出直ししよう。カラヴァッジォ展の行列は20m程度だったが今日は観ない。


I went to Ueno Park at 9 in the morning, a weekday in the midst of Golden Week holidays, hoping to see Jakuchu Exhibition at Metropolitan Art Museum, but the curving queue (like a snake) occupied the entire open space of the entrance. It would take some 2 hours to go in, which was insane to me, and I decided try on a later day, perhaps Friday evening. The line for Caravaggio was only 20 meters long, but I was not inclined to see it today either.

Sunday, May 1, 2016

小海線沿いの桜道 - Izumi Line

小海線の甲斐小泉と甲斐大泉間を線路と並走する道に桜の木がちらほらと列車の中から目に入り、帰り道に歩いてみようと思い立った。全行程は約6.5kmほど。車道の端を歩くので車の往来には注意が必要。ゴールデンウィークだったが、交通量はさほど多くはなかった。泉郷を抜ける気持ちよいくねくね道だ。
*1: Ayako Fuji's Cafe
*2 Pie and bakery shop
*3 

*4

*5

*6 The best tree on the road

*7 It is said Izumi Line

Kai-Koizumi was the goal.
Between Kai-Koizumi and Kai-Oizumi on Koumi Line, I could see beautiful cherry tree still in full bloom from the train on the road that ran along the railway, and I thought of walking on my way back. It is about 6.5km between the two stations, and you have to walk the side end of the road avoiding the running cars, but the traffic was not so heavy even in the Golden Week holidays. A comfortable winding road.



Friday, April 22, 2016

TIDALへ一歩手前 - A Long Step toward TIDAL


Mac miniはドライブをSSDに替えて、HDDはセカンダリに移動した。音楽関連ファイルも今はこれらの中にまとめた。先日、演奏会の録音を頼まれた時もこれを持ち出してRMEと繋いで済ませた。至極ハンディでよろしい!
OSはMarverickのままだが、そろそろ最新のEl Capitanにアップデートしても良いかなと思っている。HDDの方はそのままクラシックブート用に残しておけばいい。実はSSDをもう1台、インテルの240GBを確保しているのだが、ここに来てiMacの動作が異常に重くなっているので、NASのテコ入れは先送りしてiMacのドライブ換装をするつもりだ。

さて、先日Amarraから半額セールのDMが来ていたので、$25くらいならMQA絡みで遊んでも良いかなとAmarra for Tidalというバージョンをポチった。先頃のプレス発表とは裏腹にMQA機能の組み込みはまだ実現されていないようだが、2chハイレゾ音源はこちらに集約して、Audirvanaの方は5.1音源に特化させても良いかなと思った。

若干方針が揺らいだのはこのTidal用AmarraというプレーヤーはTidal専用のようで、手元のソースを取り込む機能が見つからない。それでもTidalの1ヶ月お試し期間に期待してユーザー登録に進んだら、上の画面の通り「近日開始。Hi-Fiモードは現在英米その他の国で運用中です。メーリングリストにご登録いただければ、あなたの国でサービス開始の際ご連絡させていただきます。」みたいなことが書かれている。TidalはMQAも実験中なので、いずれ何とかそれをお試し期間にじっくりいじり回ししようと目論んだのだが、これだと当分このAmarraは休眠か・・・。

Wednesday, March 30, 2016

段葛の復活 - In Kamakura Revives Dankazura Promenade


鎌倉鶴岡八幡宮への参道、段葛は永らく工事中だったが、その改修が完了して、今日から歩けるようになるらしい。午後1時頃、歩き初めを待ちわびる人々が群がっていた。新しい桜の木も咲き始めているようだ。

Dankazura is the front approach to Tsurugaoka-Hachiman Shrine along the avenue in Kamakura which has been under renovation for some time, and it reopens today. Around one o'clock in the afternoon, the gateway area was jammed by people hoping to make an initial walk under cherry blossoms!




Monday, March 28, 2016

Da Vinci in Edo Tokyo Museum - 江戸東京博物館のダ・ヴィンチ


江戸東京博物館のダ・ヴィンチ展は実質上ダ・ヴィンチ・フォロワーの絵画展に「糸巻きの聖母」が来賓として加わったような美術展だった。昨秋京都で観たフェルメール+レンブラントも同様で、最近はこうした周辺作を集めた催しが多いのだろうか、確かにそれも勉強になるという意義もあろうが、観る側としてはやや拍子抜けの感は否めない。
ダ・ヴィンチの自筆作品としては他に若干の描画とノートの展示があって、個人的には「花の研究」に魅力を感じた。



The exhibition of da Vinci in Edo Tokyo Museum was virtually a show of "da Vinci followers" where the famous Madonna dell'aspo had its appearance as if the celebrity invitee. The same kind of impression I had was Vermeer+Rembrandt last autumn in Kyoto. The collection of surroundings would be worthwhile in terms of deeper knowledge, but it is at the same time a slight discouragement for those expecting to see master works. Among few others by Leonard himself in display, I thought the drawing of flowers was fascinating.


Monday, March 7, 2016

クイケンのマタイ - St. Matthew Passion by Kuijken


受難曲を聴いて幸せな気持ちになるというのは些か不適切と思われるかも知れないが、演奏者たちとこの物語を共有できたことの充足感とでも表現しておこう。クイケンと小編成のラ・プティット・バンドが3月5日に演奏会を行ったのは東京オペラシティの大ホールで、ほぼ満員だった。
元々僕はこのグループを別段贔屓にしていた訳ではなく、これまでも特に大きな刺激を受けた記憶もないのだが、クイケンが聴ける数少ない機会なので彼がマタイ受難曲をどのように構成するのか見ておこうと考えた。さらに付け加えれば、翌日他界したアーノンクールの方がずっと長く親しんで来た指揮者で、前回の来日を知らずに聴き逃したのがとても残念で悔いが残る想いだ。

彼らの演奏は淡々とでも言うのか、ドラマチックな表現方向でこの曲を描いていないのは大会場という条件もあったからかも知れないが、慣れ親しんだ音楽を堅実に進行していくのは、際立っているという印象ではない声楽陣も同じだ。それでも所々で「ああ、良い音楽してるな」と感じさせるところがあって、特に休憩後の第2部では第2合奏とアルトによるレチタティーヴォとアリア"Können Tränen"は出色だったし、ピラトと民衆のやり取りとそこに挿入されるコラールの対比("Erbarme dich"の前)にどうしても感極まるのはバッハの作品構成の妙に他ならない。僕自身、この作品を歌うことにこれまで躊躇があるのは、平常心でこれらのコラールを歌う自信が持てないからでもある。
演奏が終わってからの観客の拍手は暖かかった。この小さなグループに拍手を送っていると、次第に親近感がほのぼのと心臓の周りで増長していくのが不思議だ。折しもベルギー政府の文化支援が打ち切られ存続の危機にあると、指揮者サイン入り著書500部限定でカンパ集めも訴えていたが、小さな火も消さないで欲しいと願う。


It may sound inappropriate if I say I felt happy listening to the Passion, but I could at least express my satisfaction of sharing this very story with the musicians. La Petite Bande (small indeed) led by Kuijken had a concert at Tokyo Opera City main hall on March 5, which was almost full.
I have not been particular about this group, and do not recall much excited with their recordings so far, but am still interested in this rare occasion to confirm how Kuijken would interpret St. Matthew Passion. If I may add a few more words, Harnoncourt was a much more close conductor to me who passed away the next day, and I regret the opportunity I missed a couple of years ago when he visited Japan for the last.

La Petite Bande did not paint the story in a dramatic style, and it could be partly due to the excessively large space for baroque ensemble, but they appeared confident and steady in proceeding the music they were familiar with. I had the same impression in the singers who were not outstanding from whichever angle, and at the same I had to admit I was agreeing to their having good “music playing” in several passages, especially in the second act after intermission: The recitativo and aria “Können Tränen” by the second alto and the second ensemble was superb, and the choral insertion before “Embarme dich” was tearful which was exactly Bach programmed in his music. I have been a bit hesitant singing Matthew by myself, and it is because I have no confidence singing these chorals without becoming over-sentimental.

The audience ovation was warm and cheerful after the performance, and as I continue clapping hands I felt the intimacy to this group curiously kept expanding around my heart.

Thursday, February 25, 2016

創造と神秘のサグラダファミリア - Sagrada, the Movie


サグラダ・ファミリアのドキュメンタリー映画を観た。(恵比寿のガーデン・シネマで夜8時からの上映は今週で終了。)若きガウディがこの教会の設計を引き継ぐことになった経緯とか、フランコ独裁やその後の建設反対運動など、歴史的背景も知ることができるが、着々と完成に向けて進む教会内の様子は僕が10年ほど前に見たまだ色彩感のない光景とはすでに様変わりして、ステンドグラスが入ったことで一段と見事さを増している。

この映画はドイツ人チームの制作で、ナレーションもドイツ語だった。そのせいかどうかは分からないが、音楽はバッハのロ短調ミサ曲が使われていて、演奏にはジョルディ・サヴァールとコンセール・デ・ナシオンが登場する。録音はFontfroide修道院での音楽祭のDVDとは違うように感じた。ここにサヴァールが登場するのは当を得たりと思うのだが、モンセラートにインスピレーションを受けたであろうバルセロナの教会で何を歌うべきなのか、大いに考えるところはあると思う。ロ短調ミサ曲と聖家族教会との共通項をサヴァールは「完成」に向かって進む長い積み重ねの作業と語っていた。そして終えてもまだ終わらない模索が続く。

I saw the movie "SAGRADA el Misteri de la Creació" at Yebisu Garden Cinema (although the show will end this week). We can learn the historic aspects from this movie such as how young Gaudi got involved in the design of this cathedral, the destruction at the time of Franco regime, and the difficulty facing with oppositions to continuing the construction. I recognize the inside has made a significant progress since the time I visited there some 10 years ago. The finish with stained glasses lifts the impression so lively and magnificent.

The movie begins with the German narration, a bit of surprise to me, because this is a production of German team. Whether it is one of reasons or not, the music in this movie was only from Bach's B-minor mass performed by Jordi Saval and le Concert des Nations. It sounded to me a different take from the published DVD  recording at l'Abbaye de Fontfroide. I thought Saval was the ideal choice here, but which music to be put here would have required a lot of consideration. Saval talked in the movie about the common aspect between the B-minor mass and this cathedral: a long process of stacking up pieces for the completion, and it is not where it stops.



ガーデン・シネマはユナイテッドの映画館で、小振りながら座席の良さ、前の人が邪魔にならない菱形レイアウト、床の傾斜度など、気配りされた品質設計の映画館だ。

Garden Cinema is a smallish theater in the United chain with luxurious seats laid out to avoid front seats' intervention as well as the sufficient tilts; all designed for a quality viewing.

Saturday, February 20, 2016

MQAを聴く - Listening MQA Sound

Meridian Prime
英国MeridianのBob Stuartはここ2、3年毎年のように来日して、彼が辿り着いた最新のハイレゾ技術MQAについて啓蒙を続けているが、この技術が1月のCE Showでは大きな脚光を浴び、ネットコンテンツもTidalや2Lから出始めるという状況にまで発展してきた。僕も一度彼の技術プレゼンを聞いたことはあるが、やはり音を聴いてみたいものだと思うようになった。

幸いと言うか、我がリスニングルームのPCオーディオ環境が少し前進を始めたところだ。PCオーディオについては1年くらい前にここでもちょっとだけつまみ食い的に書いたまま、ずっと煮え切らないでいた音楽再生専用目的のMac mini導入にようやく資金メドが立って、late 2012モデルをヤフオクで先日ゲットした。Audirvanaでデコードしたマルチチャンネル音声は目論見通りHDMI経由で正常にAVアンプに送られている。Mac miniはシステム環境設定の「画面共有」を有効にしておけば、別のデスクトップ・マックから画面操作できるので、本体をAV機器のラック周囲に置いても支障はない。僕の場合は仕事机のiMacからの操作で動かしている。理想を言えばAmarraみたいにiPhone/iPadがリモコンになる形態だろうが、Audirvanaにはそこまで器用な機能提供はない。

HDMI上の8ch伝送は上限96kHzのようで、これがMac側の制約なのか受け手のAVアンプ側なのかはまだ調べていないが、それはさて置きMac miniからの音は総じてちょっとシャリシャリ感が強く、なめらか傾向ではないようだ。現状ではCambridge (Oppo)プレーヤーからの音の方がしっくりなのだが、どちらのケースもD/AはAVアンプ側なので、この違いがデコード段階のどこから来るのかは不明だ。昔仕事でコンテンツ再生の実験をしていた頃、iMac経由の音が非常に良かったので余り心配はしていなかったのだが、このままだとやはり適当なUSB-DACに繋いだ場合の音を確認しておく必要を感じる。タイムロードのKさんにお願いして、一度ChordのHugo TTでも拝借したいところだ(!)。それでも2Lサイトから試しにダウンロードしたMQA音源で、いわゆるMQAデコードしないCD相当の互換再生をしてみた際、Vivaldiのレチタティーヴォが意外に自然な奥行き感を出しているのを感じた。通常僕が5.1以上のサラウンド再生に固執するのは、こうした音源で明らかな空間描写の違いがあるからで、2chに切り替えた途端にすごく薄い平面的な左右軸の音場になってしまうからだ。MQA音源はそのまま聴いても音が良くなっているよと言われているので、そのあたりはもう少しじっくり確認してみたいと思っている。

そんな中で先日Meridian Primeを日帰りで持ち込んでもらって試聴する機会を得た。この製品はMQA対応のUSB-DAC兼ヘッドフォンアンプ製品で、市場価格は20数万円の小さな箱。現実にはちょっと手が出ない。まずは持ち込まれたノートPCにデモ音源があるので、USBでPrimeに渡し、RCA出力をこちらのAVアンプのアナログ入力で受けて聴くことにする。オリジナル音源とMQAファイルとの比較試聴だ。最初にNorah Jonesが鳴った瞬間、のっけからハッとさせられる音の良さだ。聴き慣れたCDとは次元が違うんじゃないかと感じる。しかしここではオリジナルとの比較なので次々と曲を聴いていく。192kHzの音源とCD程度のデータ量にたたみ込まれたMQAの音は聞き分けられないくらい近い。音の違いというのではなく、雰囲気に違いがあるのではないかと改めて聴き直すと、その差は判然としなくなる。スピーカー面から先の奥行き表現に長けているのかなというのが瞬間的な第一印象だった。ずっとそんな微妙な繰り返しでこれは合格だなと思う中、いかにもステレオ初期らしい録音のブルーベックのTake Fiveで、アルトサックスの音が唯一の例外だった。オリジナル音源の方が腰太に聞こえたのはむしろ「どうしてそうなるのだろう」と怪訝に思うくらいだった。

折角の機会なので、僕としてはやはりMac miniのAudirvanaからMQAを通して聴きたい。そこでマック用のドライバー(DAC-Uploader)をインストールする必要があった。ところがこのドライバーはOS-X10.9以上を要求してきた。自分のMac miniはそのままでは使えない。急遽、Yosemiteが入っている仕事机のiMacを使うことにする。しかしその為には3mくらいのピン-ピン・ケーブルが必要だ。これも手持ちのシールド線を使って急いで作りあげ、再生に漕ぎ着けた。ここでの試聴は2Lテストベンチのファイルでハイレゾ、CDグレード、MQAをあれこれ比較してみた。結論としてはデータ量が8倍程度のハイレゾ音源と拮抗する音質がMQAで聴ける訳だから、ダウンロード音楽のサプライヤーにとっても聴き手にとっても朗報ということだと思う。Primeからの音はやはりAudirvanaなのだが、なめらか方向に傾いてくれているという印象だった。こうなると$50出してAmarraの音ももう一度真剣に聴いてみるべきだろうか? Meridian製品にはPrimeの他にExplorer2という5万程度のデコーダもあるので、ハードとして狙い目のひとつはそちらになるだろう。


Meridian Explorer 2



Friday, February 19, 2016

薬師池公園と梅園 - Yakushi-Ike Park and Its Plum Garden

梅の季節だ。町田の薬師池公園には梅園があって、高台からの全景も目を楽しませてくれるので、時期を見て行ってみようと考えていた。見頃は2月下旬らしいのだが、今日は暖かく良い天気なので、そろそろ良いかもしれないなと自転車で走り出した。鎌倉から約40km=2時間、全体として走りやすいコースだった。町田の北側は道がやや細いが、そこまでは一本道をひたすら行く部分がほとんどで楽に走れた。肝心の梅は満開の木が数本はあったものの、やはり盛大に咲き誇るのはこれからのようだった。





It's now the season for plum ("Ume") trees! In Yakushi-Ike Park of Machida is a plum garden, and the view from the upper promenade should be wonderful. The best timing is said to be end February, but it was a warm, beautiful day today, and I decided to ride on my bike. It is about 2-hour/40 km tour from Kamakura. The route was quite comfortable in overall: The roads in the north of Machida tended a bit narrow, but otherwise it was mostly a simple road to follow in most part. I saw a few trees in full bloom, but if you want to enjoy a gorgeous view with splashes of blooms in the entire garden, you should patiently delay your visit by a week or so.

Monday, February 15, 2016

Bärenreiter Versions, B-minor Mass - ロ短調ベーレン新旧版楽譜

カミさんが自分用のロ短調ミサ曲楽譜が欲しいと言うので、出掛けたついでに本郷のアカデミアに立ち寄った。ベーレンライター版を手にして見ると、中身の印象がかなり違うことにすぐ気づく。家に帰って比べてみると僕のは1955年版なのだが、新版は2010年だ。一昨年これを歌った時、指揮者が「新版では楽器の表記がなくなった」などと言っていたが、確かにその通り。それ以上に、伴奏パートは音符までもかなり整理されていて、写真のSanctusを見れば明らかだが、例えばまずティンパニがない。和音の数も少ない。旧版が総譜を詰め込んだのに対して、新譜は伴奏用に特化して再編成したのだと思う。
My wife bought a Bärenreither edition of B-minor Mass vocal score for her own use, and I immediately noticed the difference in the content appearance: Mine is 1955 version while her's is 2010. I recall that the conductor mentioned the lack of the instrument indications in the new edition while we sang this music a couple of years ago, but the changes were more drastic. As you can see in the attached pictures, the timpani notes disappeared and there are fewer notes in the harmony in the 2010 copy. The older version simply packed all the orchestral parts, but the new version, I guess, focused on the arrangement for the keyboard accompaniment.


Bärenreiter 1955 Edition
Bärenreiter 2010 Edition


しかも新版には前書き解説が付いていた。読んでみると、この曲の歴史的経緯の説明があり、最新版の立ち位置が解説されていた。最後の章は楽譜を読む際の参考になるので、以下に和訳を書き出しておく。
* * *
ロ短調ミサ曲はどの版でも3つの大きな問題に直面する。初期版に対してどのように対応するのか、バッハの息子たちによる後世の加筆とオリジナルの自筆とをどのように区別するのか、そして自筆譜そのものの不安定な物理的状態ということだ。
とりわけ、キリエとグロリアのパートで成る1733年セットの初期バージョンには数多くの表記があり(オーケストレーションの指示など)、どの版にとっても無視することは難しい。他方、各表記部分はそれぞれ異なる版に属するものということでもある。こうした加筆に配慮しつつ、ふたつの版の分離性を守るために、この楽譜では1733年版からのすべての追加情報は灰色の印刷で提示した。このようにして自筆の音楽表記が明確に見分けできるようになっている。
さらに続く修正、仕上げ、さらにC.P.E.バッハが20年以上の歳月をかけて父の自筆スコアに加えた変更については、肉眼では判別不能なこともしばしばで、これまでは論議の種だった。これを解決すべく、2007年から2008年にかけて、自筆譜から多くのパッセージ(約500箇所に及ぶ)を選んでX線蛍光分析にかけた。オリジナルを傷つけることなくインキの成分分析が可能となる手法だ。ロ短調ミサ曲の場合、C.P.E.バッハの書き込みは父親のそれと区別できたと確信された。対照的に、C.P.E.バッハが関与する以前の楽譜状態の復元については、解決できなかったものもある。
ロ短調ミサ曲の自筆譜に加えられた父バッハや息子バッハによる多くの変更のせいもあって、この楽譜はバッハの自筆譜全体の中でも最も傷みの大きいもののひとつである。特にII部からIV部にかけての損傷が激しい。2002年の修復で手書きの状態は保全されたが、頁から離脱してすでに削られてしまった表記については永遠に失われたのだった。従って我々の今回の版で重要な情報源のひとつとなったのは1924年出版のファクシミリで、遙かに良好な手書きの状態を提示していた。欠損箇所は存在せず、あっても小さいものが多く、頁を通してほぼ判別が可能だった。こうしてすべての損傷パッセージを1924年ファクシミリ版と突き合わせ、適用可能なものはこの版に取り込んだ。1924年にすでに損傷していたパッセージについては、並行処理や最も初期の写譜師原稿に基づいて復元した。大きく修正が加えられたパッセージというのは、専らインキ退化の影響が酷いもので、今日損傷状態にあるパッセージは息子バッハが手を加えた部分である可能性が高い。現存する写譜師の原稿でC.P.E.バッハの最初の関与より遡る時期のものはないので、これらパッセージのオリジナルはどうであったかについてもいかなる確度の再構築も最早不可能である。それらはこの楽譜では括弧で括っている。
この版で我々が目指したのは、J.S.バッハの本来の意図にできる限り近づき、一方でそれが不可能な箇所や、他の版に基づく修復で可能となった箇所を明記することである。読者の方々には、更なる詳細は総譜版の前書きと重要報告の頁を参照されたい。

Monday, February 8, 2016

手白沢温泉 - Teshirozawa Hotsprings

スノーウォークがしたいと登山エキスパートの友人に話したら、日光の奥の温泉に行こうとプランを組んでくれた。2年前に膝を痛めて以来、山歩きは控えていたので初の復帰トレッキングということになる。東武日光線で鬼怒川温泉に朝10時に着き、バスで女夫渕温泉まで(1540円)入る。そこから先は車の乗り入れは禁止で、八丁ノ湯と加仁湯に宿泊する客には送迎サービスがある。それ以外は歩きで入山だ。往路は川沿いの遊歩道を歩いた。登坂はないに等しいが雪道なので加仁湯まで2時間強の道のり。ルートはすでにずっと足跡があるので迷うことはない。我々が目指す手白沢温泉は加仁湯のさらに先で、標高も1500m近くなるのでそこはほぼ一本調子の登り道だ。このエリアへの訪問は二人とも40数年ぶりだったので、すべて様変わりだった。

I told about my desire of a snow-walking to a friend of mine who is a mountaineering expert, and he made a plan to visit a hot spring deep beyond Nikko. I have refrained from climbing since I damaged my ligament a couple of years ago, therefore this was actually the first recovery trekking for me. We arrived at Kinugawa-Onsen station of Tobu-Nikko Line around 10:00 in the morning, and took a bus for Meotobuchi-Onsen. Further beyond, no cars are allowed except shuttle services for those staying at Haccho-no-yu or Kaniyu lodgings. Other visitors have to walk all the way, and we took the hiking road along the river. No real climbing but it will take about 2.5 hours to Kaniyu in the snow. It is least stressful as there are footsteps in the snow that you can simply follow. Our destination, Teshirozawa-Onsen, is further up with the altitude of almost 1500m to cost you some 40 minutes more of going up. Both of us once visited this area more than 40 years ago (individually), and everything looked totally different!


Approaching Kinugawa-Onsen
左に男体山の山並み
Kawamata Lake 川俣湖
Meotobuchi-Onsen Bus Terminal
女夫渕温泉のバス終点
Such a mean behavior stealing a portion of interest from the guide display!
案内板の欲しい所を破り取った許しがたい輩の仕業

Frozen Waterfall - 凍結滝

八丁ノ湯 Haccho-no-Yu
手白沢温泉 Teshirozawa-Onsen
Indoor Bath - 内湯
Outdoor Bath - 露天風呂
 手白沢温泉は19年前に改装したそうで、昔の山小屋風の面影はなく旅館に近い雰囲気だ。宿泊費はこの時期で14,500円となかなかの金額だ。到着早々、我々は風呂に浸かって冷えた身体を温めた。硫黄の臭いがうれしい内湯はかなり熱く感じられたが、翌朝入った時にはそれほどでもなかったので、こちらの調子次第なのかも知れない。風呂上がりにどっと疲れが出た感じで、夕食まで居眠り状態だった。全館暖房で、就寝時は部屋が暑くて汗をかいてしまい、結果あまり良く眠れなかった。夜中は敢えて16℃くらいまで温度を下げるか、部屋ごとに調節が出来るとありがたいと思う。
翌日9時過ぎに宿を出て、帰路は林道を行った。ここを通過する車はふたつの宿の送迎バスくらいなので、気ままな散策という感じで歩ける。しかしほとんどずっと下り道だったので、急峻ではないが往路にすると不可があるのかも知れない。
今回の旅で夏の計画をひとつ思い付いた。次は日光沢に泊まり、そこから鬼怒沼と湿原を歩き、八丁ノ湯の丸ログハウスにも宿泊したい。新宿から鬼怒川温泉に直通乗り入れ特急もあるので、女夫渕までは自転車で頑張るというアイディアも可能かも知れない。

Teshirozawa-Onsen lodging was renovated 19 years ago that now looks more like a standard "ryokan" than a classic mountain lodge. The fee was somewhat expensive 14,500 Yen per night incl. 2 meals. We immediately took bath after arrival as our body was chilly enough in the long walk. The water in the tub was quite hot but good with sulfur smell. Outdoor bath wasn't hot as the outside temperature was below zero. The entire lodging was air-conditioned and it was rather hot while sleeping as I was sweating. It should be lowered to 16 degrees or so, or it would be nice if controllable in each room.
We departed around 9 in the next morning, and took the wider traffic road ("Rindo" = forrest road). The actual vehicles were only the shuttles of two lodgings, therefore we enjoyed a relaxed walk. As it was basically a downhill all the way which indicated going up the opposite direction might build up your fatigue.
I had a good idea of next visit this time, which is to stay at Nikkozawa and have a whole day hiking to Kinu Marsh and Moor. I would also like to stay in the Haccho-no-Yu log house. Coupling it with a bike ride up to Meotobuchi may be possible and exciting, too.




Thursday, January 14, 2016

AGLEDのシーリングライト


シーリングライトを本日LEDに替えました。妥協というよりは思いきりで、AGLEDというメーカーの12畳用モデル。ヨドバシのネット注文だと不要になった照明器具の引き取りサービスが付加できないので、面倒でもテレホンショッピングしました。直線的でスッキリとしたデザインはまずまずですが、フレームは安手のプラスチック感が見えてます。それでもかなりの薄型で圧迫感がなく、良い感じに収まっています。昼光色にも電球色にも無段階調色できるというのも有り難い。20年超の奉公を終えてリタイアした旧製品は下の写真。



I replaced our living ceiling light with a new LED product today. After all, my choice was domestic AGLED model instead of some fancy European brands, and it wasn't a compromise but a reasonable decision. A fairly sophisticated, straight and plain design although the actual frame could look like cheap plastic. Its thinness contributes creating spacious impression, and the color temperature is adjustable between daylight and bulb equivalents, which I appreciate very much. The retiring old light is shown in the second photo.

Friday, January 8, 2016

Le Klint Swirl - シーリングライトですが

引き続き照明ネタですが、しばらく前からシーリングライトを物色中です。Officinoではmuranodueなどの扱いブランドが減ってしまったし、数年前に直輸入したドイツの照明器具通販サイトTrenddesign24もなぜかほとんど機能しないくらいの惨状で商品表示されず、これといった収穫は今のところなし。無難に国産品で手を打つか・・・。
今回の仕様には合わないが、たまたま他サイトで目に止まったのはこちらのリクリントくらい、ヤマギワ値段は8.1万ですから良い買い物とは言えそう。

http://www.lumens.com/swirl-1320-ceiling/wall-lamp-by-le-klint-LKLP89870.html
The lighting topic continues...
I've been looking for an alternative ceiling light for our living room, but Officino stopped handling several brands such as muranodue, and the German website of Trenddesign 24 where I bought a stand a few years ago is now miserable without showing most of products. I have no idea what's happening. We may have to compromise with an ordinary but secure domestic product this time...
A Le Klint light shown here does not match our specs this time, but it looks like a good deal considering the price at Yamagiwa is 81,000 Yen.


Monday, January 4, 2016

LED照明の困難

年末大掃除の一環で、一部の電球をLEDに交換したのだが、階段室の照明muranodueのGioではE17口径の小型球を横置きにセットする。これは無理があるなと思いつつもやってみると案の定、球の下半分がケーシングで覆われたLEDの場合はどうしても照明エリアが左に偏る。全面均一の白熱球(写真左)とは雲泥の差で、シビアに言えば使い物にならない。その実状は写真右の状態よりもっと落差が大きく感じられる。白熱球はどんどん市場から消えていく運命のようで将来に禍根を残す。


In the process of end-year cleaning of the house, we replaced some light balls with LED bulbs, and with this muranodue Gio in the staircase I felt negative with the result, and indeed the photos show it: the left is before and the right is after. Because this particular lighting holds E17 light ball along the surface facing the left (=90 degrees off front) while the lower hemisphere of LED bulbs tend to be the casing structure, the overall brightness will lean toward the left. The reality is worse that what this photo shows. A potential trouble when normal light balls disappear in the future. 

Thursday, December 17, 2015

Tempered Glass Screen Protector for My iPhone 6Plus - 強化ガラス保護フィルム

携帯の液晶保護フィルムの汚れが目立つので、少し奮発して強化ガラスにしようと思っているうちに、最近価格が一時の1/3まで急降下と知って早速ポチる。このAnker製品も900円未満、装着手順が合理的で大いに満足。透光性高く、超グレアだが美しい。


The display protection sheet of my cellular got dirty, and I was thinking of a more costly glass-version for a while. In the meantime, luckily the price went down to about one-third (less Y900), so I bought this Anker product that was very satisfying with quite logical procedures for installation. It is very glossy, extremely transparent and beautiful!

Wednesday, December 16, 2015

永青文庫・春画展 - Pornographic Shunga Exhibition



永青文庫の春画展に行ってみた。小さな会場はかなり混んでいて、しかも作品の前に並ぶ人たちの列が遅々として動かない。とにかく時間効率が悪いので、2列目で肩越しに飛ばしながらの鑑賞となった。展示は期間を4回に分けて入れ替えしたようで、一度では全体を俯瞰して鑑賞できる訳ではないが、江戸の最盛期だけでなく古いものやもっと時代が下った作品まで網羅されているので、その点の学習効果はあった。僕が入場した時は館外まで行列はなかったが、帰る時にはこんな調子に膨らんでいた。こうしてみると日本人のエロチシズムへの情熱は年齢を問わずまだそこそこ熱いようだ。自分も例外ではないと言うことだが。


Fox Tadanobu and Hatsune, 19th century

"Shunga" is famous Japanese pornography that used be popular in the 18th century. I recall there was an extensive exhibition in National Gallery, England a few years ago, but such events are not so often found in Japan. There was one in Eisei-Bunko in Tokyo, and I visited. The gallery was smallish and pretty much filled with visitors who moved exceptionally slowly along the displays. It looked least time-efficient and I proceeded in the second line to look at the paintings over the people's shoulders. They had some older and newer works as well as those in the most flourish era, which was good for understanding the historic aspect of this art. As I left the gallery, I was amusedly surprised with the line of visitors that stretched to the outside of the building literally illustrating how much love we Japanese had into porn arts regardless of ages, and I may not be an exception!

Wednesday, December 2, 2015

ガーディナーのロ短調ミサ新譜 - Gardiner's B-minor Mass 2015 Release

ここ2年くらい、ガーディナーは欧州各地の都市を巡回してロ短調ミサの演奏会を催しており、あいにく僕の旅行とタイミングは合わなかったが、パリの友人は聴きに行ったと伝えてくれた。そして今回の新譜の案内から約2週間、SDGから早々とCDが届いた。録音情報は2015年3月28-31日、ロンドンのLSO聖ルカ教会となっていたのを、1ページずつ隈なくめくってやっと見つけた。ガーディナー自身が解説したやや長文のライナーノーツがあるが、これは彼の著書からの抜粋だ。なにしろ600頁を超える長編でしかも難解な語彙を使いまくるガーディナーのバッハ本なので、僕は読破を試みるも頓挫したままになっている。それでもここはロ短調ミサに集中してまとめてくれているので、日本語にしておくことにした。→文末参照。

さて今回の録音だが音はすごくドライで、もちろん彼の録音はいつも響き過多傾向にはないのだが、まるでスタジオ収録のように近い聞こえ方に感じた。そんなこともあって、僕個人としては一昨年ロイヤル・アルバート・ホールからBBC生中継された演奏の方に好感を持つ。あの時はバッハ・マラソンという9時間イベントの締めくくりで、その様子を他のロ短調ミサ演奏と共に紹介しているので、参考までにリンクしておく。


For these 2 years or so, Gardiner travels to several cities in Europe to perform Bach's B-minor mass, and it has been unfortunate that my visits never coincided with them timely although a friend of mine in Paris did not miss one. And now comes the recording. Swiftly 2 weeks after its release announcement, I received the CD copy from SDG. The recording took place at LSO St. Luke on 28 through 31 March, 2015 that I scanned every single page carefully in the CD book and found in the last page. Gardiner himself wrote the fairly long liner notes which is actually a summarized excerpt from his book "Music in the Castle of Heaven". I tried to read it through, but it is at a setback for the moment because it is a huge study about Bach amounting over 600 pages with full of Gardinerish lofty vocabulary. Being handy enough the note seems, I am going to translate it down into Japanese.

The sound of this latest recording is rather dry, and while Gardiner's recordings never go excessive with reverberation ambience, this sound very close as if in a studio session. This is probably one of reasons I tend to favor the performance at Royal Albert hall 2 years ago as part of "Bach Marathon" event that BBC broadcast live in the net. I show the link of my old post that discuss it as well as other B-minor mass performances FYI.

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バッハのロ短調ミサ曲冒頭で三度刻まれる”Kyrie”の響き - それはあたかも舞台演劇のようで、聞き手であれ演じ手であれ、我々一人ひとりが個別的にあるいは集合的にそこに引き込まれる。この濃密で動的な4 小節の提示により、我々はそこで自然に祈りの仕草を取る。ティッツィアーノやルーベンスの祭壇画に描かれたような姿だ。最初のロ短調和音の強拍とその苦悩の帰結から我々の期待が喚起され、この4小節が終わると荘厳で巨大なフーガが抑制的な祈りの感覚と共に始まる。あらゆる音楽の中でも、ミサ典礼文として規模、偉大さ、そして謹厳さにおいて空前の作品という、最も壮大な体験に我々は旅立ったのだ。
この記念碑的な冒頭小節に身を委ねると、それを先遣としてこのミサ全曲を聞き通す以外ないと感じ、かくも強烈な心動く展開感から、曲全体の発想と具体化は作曲者の頭の中では中断なく一気に進んだであろうと思われる。しかし現実はそうではなかったようで、バッハがこの壮大なミサ曲を作り上げる過程で何度かの中断があったことを我々は拾い出してしている。バッハがこの曲を完成させたのはその晩年2 年間で、ただしその曲想の種は40年ほど前に遡り、ワイマール公宮廷で過ごした探求時代であったと研究者の間では概ね見解は一致している。ミサ曲でCrucifixusの楽章の元になっているのはまさにその時期のもので、1714年作曲のカンタータ第12番「泣き、嘆き」冒頭の合唱がそれに当たる。バッハが大ミサ曲に引用したバッハ自身の曲としては最も古いものだ。
バッハがラテン語歌詞を意識するようになったのは彼の中期の時代だが、どうして彼がカトリック不変のラテン語歌詞による完全なミサ曲に着手するという考えに至ったのかは判っていない。18世紀のルター派作曲家がそれに取り組むというのは普通ではない。但しルターはギリシャ語やラテン語の原典を確固とした自国語版にして信者たちに残す一方で、信仰の完全な全世界的理解への配慮から礼拝の儀式においてMissa brevis(小ミサ)の継続使用は是認していた。従ってギリシャ語のKyrieとそれに続くラテン語のGloriaはルター派礼拝のスタイルでも新たなドイツ語典礼などとともに短いミサを構成するものとして生き残っていたのだ。バッハがこの小作品分野で初めて作曲を試みたのは1733年だった。49歳の生涯のこの時期、彼のライプツィッヒでの職務的状況は悪化していて、新市長となったヤコブ・ボルンはバッハにもっと真剣に教育の任務を果たすことを求めてきたが、評議会に「業務に努力の姿勢が見られない」と報告して、その地位から罷免することを試みた。いかに立場を改善するか、あるいはいっそすべてから脱出でもするか、そこで閃いた考えは3年ほど前にライプツィッヒの評議会に提示していた彼の「教会音楽整備のための簡潔にしてきわめて重要な起案」だった。その中で彼は音楽がどのように組織活用できるかまたすべきかについてドレスデン宮廷を配慮することを謳っており、これは批判的なものというより、単に音楽にそしてザクセンの関係者にライプツィッヒより高い価値を持たせようとしたものだった。そこでは魅力に満ちた才能ある音楽家たちが作曲家としてのバッハの専門的地位と野望を花咲かせることになる---と彼は考えたであろう。丁度その時、かつてバッハがオルガンリサイタルで絶賛を博したドレスデンのゾフィー教会でオルガニストの職に空きが生じた。バッハはこの絶好の機会に照準を定めたが、それは彼自身ではなく長男ヴィルヘルム・フリーデマンのためとした。バッハの熱心な(但し隠れ蓑としての)支援のもと、フリーデマンはこの地位を得て、ドレスデン宮廷楽団から暖かい称賛を受けることになった。こうしてバッハはドレスデンに旅する有効な言い訳を手中にする。到着早々彼は新しいザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世に美しく仕上げられた新作のミサ・ブレヴィス(KyrieGloria構成)を添えて、宮廷内の地位として「気高き貴宮廷の賓位」を請願した。
バッハがこの献呈ミサ曲をそれ自体で十全な作品と考えていたのは至極当然で、彼がドレスデン・ミサ曲を我々にも馴染みある完全ミサ曲の冒頭2楽章として含み込ませようと思い至るまでにはまだ何年も経なければならない。我々がロ短調ミサ曲として見ている原曲はバラバラに作られたもので、その機能も目的も概ね曖昧だ。その形成と融合には長い年月を必要とし、おそらくバッハはそれを演奏によって体験するという恩恵など得ることはなかったし、自らの作曲技量を先々のために総括として実験する機会もなかったであろう。
Gloriaの全9楽章のほぼすべては原曲としてそれに先立つ作品があるとされ、そのいくつかは逸失している。従ってバッハが17336月ドレスデンに旅立つ時、彼の頭の中には既にどの曲が最適に応用できるかという新しい考えなど、「ミサ曲」の基本構想は出来ていたかも知れない。それでもそれらの曲を既存の典礼文構成の中に再適合させるには並外れた技量が必要で、その上で各パーツはコピー可能となりミサ曲が仕上がる訳だ。明らかに望ましい展開はこの短い2楽章ミサ曲を理想的には献呈対象の選帝侯臨席の下で演奏することだったであろう。それは礼拝としてはルター派のゾフィー教会でも、カトリックのホフ教会でも適切で、荘厳祭日には宮廷楽団が定期的に演奏を行っていた。バッハの楽譜には当時ドレスデンで流行し始めていたナポリ風のミサ作品との類似性があり、アリアのために1730年にイタリアから新たに招聘された独唱者とか楽団内の楽器演奏名手など、特別なアンサンブルを想定して作曲されたと思わせる大きな特徴を備えていた。さらにバッハはオーケストラの曲作りに宮廷楽団で彼が信頼し、起案でも特に賞賛していた演奏家の名人芸や様式の多彩さを発揮させる機会をふんだんに持たせていた。バッハがスターを散りばめ、ドレスデンの友人たち(ボヘミアの作曲家Jan Dismas Zelenka、ヴァイオリニストのJohann Georg Pisendel、そして彼自身の長男Friedemannなど)を集めて周到にリハーサルを重ねた初期版のロ短調ミサ曲を初演したと思い描くのは確かに惹かれる話ではあるが、それを証明する材料は何もない。
それ以後の12年間、我々はミサ曲と可能性としてのその発展についての足跡を見失う。バッハはそれを彼の記憶の奥底に仕舞い込んで、復活と再評価がもたらされるような新たな状況の変化を待つことにしたのだろうか?だとすれば、このミサ曲を完成させるに必要な創造へのエネルギーは恐らく1745年のクリスマス時期に見ることができよう。第2次ポーランド戦争がまさに終戦を迎えたところで、1745年秋にはプロイセン軍がライプツィッヒを占領し、周辺地域を荒廃させた。バッハは人生で初めて戦争の怖さや辛さを直接体験したのだ。3年後も彼は「ああ、悲しくも、プロシア侵入を受けた時」とそれを記憶している。クリスマスの日にドレスデンの平和を祝して感謝祭の特別な礼拝が大学の教会で行われ、それはバッハが統括するふたつのエリート教会合唱団のメンバーに合同演奏させられる珍しい機会だった。ライプツィッヒの人々に5声によるラテン語という異色のカンタータ第191番「Gloria in excelsis Deo」を聴かせる機会だ。そこでバッハはドレスデンのGloriaから3曲を急ぎ取り合わせ、新しい三連祭壇画に見立ててまとめた。1724年のクリスマスで初めてお披露目されたクリスマスの6Sanctusもほぼ間違いなくこの礼拝で復活したはずだ。こうして最終的に全27曲のロ短調ミサ曲のうち、5曲が初めて演奏されたのではなかろうか。彼は自分のラテン語作品の質に改めてハッとしたのだろうか?恐らく彼は突然そこに運命を感じたのではないか。もっと大掛かりな構成の中にそれを仕込んでいく可能性が、規模や壮大さにおいて彼の受難曲に比する明確な信仰宣言を創造しようという強い思いを彼に抱かせたのだ。
それからしばらく後、当初は1733年版ドレスデン・ミサ曲だった作品から「カトリックの大ミサ曲」を完成させるという記念碑的決断に至ったのは、多分2年は経過して、クリスマスの平和祝賀の直後だろう。1790年のCPEバッハの財産目録に出てくるのがその題名である。具体的な使用目的に沿って既存の音楽と新たに作曲した楽曲をまとめることは彼のふたつの志に対する妥協では全くない。ひとつは一曲の作業の中にも彼自身と先達の音楽で大切に思うあらゆる様式を包含した博学的探求を行うこと、そしてもうひとつはその作業実践を完璧に達成することだ。
彼の準備は周到だ。まず基本的な構成、兵站、スタイルについての考察がある。出発点に1733年版ミサ曲を選んだことは、方向がある程度それで固まったということで、5声のヴォーカル・スコアとフルサイズのオーケストラ(Sanctusでは三位一体のトランペット、オーボエ、高音弦楽に対して声楽部の二重三位一体で補強)、独唱及び合唱楽章のモザイク、そして片やイタリア風協奏曲的楽章があり、他方古典的ポリフォニーによる明解な対比という諸様式の融合がある。この数年前にスティル・アンティーコ技法について集中的に研究した時期があったことがパレストリーナとペルゴレージに誇りある地位を与え、彼がCredoを多声的に作ろうとする関心を膨らませるための出発点となり、また道案内としての役割も果たした。とりわけジョヴァンニ・バティスタ・バッサーニの6曲のミサ作品がバッハの興味を惹いた。
彼はそのすべてを書き写し、バッサーニの第5のミサ曲のCredoには16小節の始唱(BWV1081)を新たに作曲して加えているが、その低音オスティナート旋律は明らかに彼自身のCredoの始まりを予見させるものだ。
次の段階は宗教曲、世俗曲を問わず、彼の昔の作品を見直すことだ。バッハの記憶回路が如何に正確無比に既存の楽章から完璧な選択に至らしめたかは驚くばかりだ。音楽素材に潜むあらゆる可能性が彼の頭の中ではあたかもスクリーンに瞬間表示され、あとは選択プロセスでそれらすべての可能性を検分しているかのようだ。例えばバッハ最晩年の声楽曲で8行詩のアリア作品をわずか8語に切り詰める困難が彼にのしかかるわけだが、彼は昇天祭オラトリオ(BWV11)からノスタルジックなアルトのアリア「ああ、どうか留まってください」を勝者に選びそれがAgnus Deiになるわけだが、どちらの曲も遡れば失われた原曲がある。そしてGratiasの曲をミサ曲全体のまとめとなるDona nobis pacemに再利用することについては、バッハは聖餐式を1526年版ルターの「ドイツ・ミサ」から取られた「Wir danken dir」の感謝の言葉で締めくくるというライプツィッヒの伝統に関連づけているのだ。
ミサの典礼形式はラテン語なので、バッハは時を経て風雨に揉まれた言語を使って普遍的テーマに集中することができた。当時の他のミサ曲作品でのアプローチと比較すると、バッハの作品は人間ドラマに力点を置いた斬新なものとなっている。彼のミサ曲には全体に語り的な細糸が通っていて、鍵となる瞬間にはそれが表出する。例えばGloria in excelsisやキリストの地上での生涯を扱うニケア信条で中核をなす3楽章で天使が羊飼いの前に現れる場面だ。この3楽章(CrucifixusEt resurrexitとそれに先立つEt incarnates)は最新且つ最前衛の音楽として遙か先を行くもので、注目すべきはそれが最後になって追加され、恐らく完成形の音楽楽章としてはバッハが最後に作曲したものであることだ。その後に続く静寂はバッハ音楽の究極の神秘性を内包するもので、奇跡的に取り戻した幼年期の力のような、予感と失われた無垢の両方の感覚を孕むものだ。
しかしこのミサ曲全体の中で私にとって最も痛切に人間的な瞬間というのは、ConfiteorからEt expectoに繋がる霊的な橋渡しのパッセージだ。このゆっくりと引き延ばされ、手探りで不安定な小節に(自筆譜には何度も訂正がある)我々はバッハ自身の苦闘の跡を見ることが出来る。確かにそれは調性、対位旋律、和音などに対してであるが、信仰そのものにまで関わっている。自らの罪の恐れや堕落状態から我々を引き上げる救済の望みなど、そこでは様々なことが賭に出される。これはバッハの防御がうまく働かないという稀有な状況で、我々は彼のもろさと迷いとを密かに知る。
バッハが我々に提示している人間性の強調は、我々が日常的に暗黒や知らないものに抱く恐怖感に対し防波堤となる。彼が我々に恐怖を感じさせることが出来るのは、彼もまたそれを感じたからだろうし、さらにそれを克服する術も理解していたのだ。このミサ曲の中でふたつの真逆な状況を同じ歌詞によって提起したのは唯一Et expecto resurrectionemで、ひとつは歪んで不確かで、もうひとつは生き生きと確信に満ちている。
バッハが作曲とその消化の過程で、考えを集中させ、最終段階に入るには、何か特別な行事を必要としていたことは想像に難くない。ひとつの提案はドレスデンの新しいホフ教会落成に予定される祝典は彼の曲でミサを行うという可能性だ。基礎のすみ石は1739年に置かれ、ベルナルド・ベロットによる1748年のドレスデン景観図から判断するとホフ教会は完成間近で、鐘楼はまだ足場に囲まれていた。この行事はバッハが待望していたものだろうか?そうであれば、ミサ曲の最終章が乱雑で必死な手書きとなっているのが、それを裏付ける熱く切迫した証拠だ。しかしもし彼の意向が献呈祝いの一部として演奏されるための献上を考えていたのなら、これは違う。視力の低下で17503-4月にイギリスの眼科医ジョン・テイラー卿による2度の水晶体手術を受けたことに加え、バッハは治療しないままの糖尿病に苦しんでいたとの指摘がある訳だから。彼はしばらくの間持ち直していたが、720日に脳卒中で倒れ、8日後に亡くなってしまう。
だからと言って、例えば1751年ドレスデンでミサ曲の全曲演奏に立ち会うあるいは指揮するまでバッハが長生きしていたらという可能性を除外はできない。その時彼はまだ曲の手直しを加え、改訂を続けていただろう。つまり作品を静止した対象と見るなら、一個の人間の思考と行動についての総括とその器は、喩えそれがバッハのふたつの受難曲に匹敵するような絶対的信仰の宣言だとしても、一方向のものでしかない。もうひとつの見方はそれが切れ目のない自己修正と自己定義の行程で、それは終点に至ることはなく、あるいは決して至ることが出来ないのではないだろうか。音楽に込められた意味の本質的可動性が束縛から解かれ、救われるのは、演奏を通してのみだ。バッハは時間経過の中で音楽を組み立て、そこに自分の早い時期の音楽的着想を吸収させ、彼の「完璧という慣例」とでも呼ぶような表現によるまさに筆舌にし難い形の結論を出した。彼の口ぶりなら、「もうこの惑星からは降りる。自分の役目は終わりだ。君たちに純粋で美しいアイディアをひとつ残しておく。そのアイディアの表現法は私から世界への贈り物だ。私の先達たちもその一部に入っている。」と言ったことだろう。言い換えれば、Nunc dimittis(今こそ我を去らせ給え)のようなもの。我々は彼の末裔であり、彼の洞察力の受益者なのだ。我々がその曲を演奏する度に今の最新の地点での作品の持続的展開を印していくことになる。
さて30年の空白を経て、バッハの大ミサ曲を再録音するという機会に、私はバッハのあらゆる宗教曲の中でこの作品は演奏者への要求が技術的にも音楽的にも、さらに精神的にも最も高いものとの認識を一層強くしている。多くの音楽家たちと塹壕に(喩えだが)篭もっていたので、そこには2000年のカンタータ全曲巡礼に丸々一年私と共に没頭して参加してくれた者もいるし、それ以来毎年の再訪問もあって、彼らが如何に驚くべき才能を備えているか、私は判っている。そして彼らが歌手あるいは演奏者としてお互いに対し、またまとまって固く編み込まれたアンサンブルとしての演奏法に対し、図抜けた反応力を備えていることがバッハ音楽の解釈に磨きをかけてきた。教会カンタータの探訪を終えてミサ曲に戻ると、季節が特定され、週毎の説教に組み込まれた音楽は全体像に変化をもたらした。カンタータでは聖書が信徒の一人ひとりに関連するような寓話や物語を提供することでバッハに(受難曲だけでなく)音楽ドラマの材料を与えていたのだと常に感じていたのに対し、このミサ曲では我々は彼が新たな音楽の分野に挑むのを追走する。一方では聖書の教義を照らし詳説するために、他方では死を超えて生きていくことを最大に楽しく祝うことで人としての信仰の迷いや諍いを明らかにして克服するために。
バッハは社会の調和崩壊が進み、啓蒙主義者によって宗教の古い仕組みが壊されて行く時期に作曲をしていて、彼の見識の広さから宇宙を調和のある全体という概念で捉え、我々に提示している。彼のミサ曲の多様な由来を辿り、時代を遡る楽曲を再利用している兆候を見れば見るほど、そこにはバッハ自身の音楽が影響の束の中で薄まって、全体ではなくパーツの寄せ集めと化す危険性があるのだが、素材を加工してそれを新しい形に溶着させるところがまさに彼の真骨頂で、自らの意志と勇気は自分流で打ち鳴らし、そして様式を超えている、それがロ短調ミサ曲で特に感激を覚えるところだ。それを認識しないでは、その背後の原動力を見落とす恐れがある。バッハの決意は単に信仰を仕草で伝え、自ら発想した音楽を通して教義を解きほぐすためだけではなく、音楽の持つ可能性の幅そのものを広げ、そうした探求によって彼の生きる世界と何であれその先にあるものの意味を理解するためでもあるのだ。
©2015 John Eliot Gardiner
著書「Music in the Castle of Heaven13章より抜粋。



Monday, November 23, 2015

京都の秋 - Autumn in Kyoto

●京都植物園 - Kyoto Botanical Garden
11月の3連休前に紅葉を求めて京都入りした。19日はカミさんの希望で植物園散歩。タイミングはもう少し後が最盛期かなと思ったが、写真では見た目以上に色が出ているようだ。植物園自体はとても良く構成されていて、春にはさぞ見事だろうと感じた。
Just before 3-day holidays in November, we visited Kyoto excepting autumn colors. We went to the botanical garden on 19th as my wife wanted. The peak of autumn leaves seemed coming in a few days or a week later, but the photos contained more than sufficient colors. The garden itself was very well organized that must be wonderful in the spring time.








●詩仙堂 - Shisendo
最終日21日の朝はまず詩仙堂へ。平日でもこの混雑ぶりだから、翌日からの連休は想像を絶する押し合いへし合いに違いない。ここは充分に秋色が楽しめる状態で、小さな庭園を楽しく見ることができて、幸せな気分になれる。対照的に曼殊院は遠出する価値が見当たらない。
In the morning of our last day in Kyoto, the 21st, we visited Shisendo that is known for its garden. It was pretty much filled with visitors despite the weekday morning including number of foreigners, and the following weekend holidays would be an unavoidable mess! This small but beautiful garden had full of colors, and we had a happy feeling being there. In contrast, we did not find any point of visiting nearby (but long walk) Manshuin unfortunately.







●高雄三山 - Three Temples in Takao
20日昼から急ぎ足のハイキングがてら、今が見頃と言われた高雄を目指す。京都駅から臨時バスが出ていて、料金も往復800円と至って効率的に事は運んだ。しかし期待していた紅葉に染まる山という期待は神護寺・西明寺・高山寺のいずれでも裏切られた。タイミングが悪かったのか、あるいは今年の紅葉は不作だったのか?
On 20th, I had a quick hiking to Takao in the afternoon because I was told the colors there were in peak. The bus ride of about 50 minutes was quite efficient as there was timely direct service from Kyoto station (for 800 Yen fare round trip), but in none of Jingoji, Saimyoji and Kozanji temples displayed much autumn colors. I had no idea if it was because of wrong timing or the season itself was not great this particular year.







●おまけ:琳派展 - Extra Bonus was Rinpa Exhibition
20日朝は京都博物館で琳派展の鑑賞。実はこれが今回の京都訪問のもうひとつの目的だった。宗達、光琳、抱一それぞれの画風について感じるところなどあり、良い展覧会だった。但し光琳の風神雷神などいくつかの作品は閉幕近いこの時期すでに撤収後だったのが残念。
20th morning was for Rinpa Exhibition in Kyoto Museum, and it was actually one of two major purposes of our visit. It was definitely worthwhile as I could personally digest the styles of Sotatsu Tawaraya, Kohrin Ogata and Hoitsu Sakai. On the other hand, some of great paintings including Kohrin's "Wind and Thunder Gods" had been withdrew as it was toward the exhibition ending.