近々、ガーディナー著「Music
in the Castle of Heaven: A Portrait of Johan Sebastian Bach」が刊行されますが、この本のことはしばらく前にBBCの音楽番組の中で聞いて興味を持っていました。先日、Guardian紙に書評らしき記事が出ていて、内容のせいか、イギリス的に語彙が読むのに面倒な記事でした。以下に雑な訳を参考に載せておきます。
http://www.theguardian.com/music/2013/sep/21/secret-bach-teenage-thug?CMP=twt_gu |
クラシック音楽で最も崇高な傑作の中でも、マタイ受難曲とロ短調ミサ曲により、ヨハン・セバスティアン・バッハはすべての作曲家でおそらく最も偉大だ。しかしバッハ解釈で先進的な世界的指揮者のひとりによると、そのような天国的な音楽を書くことができたのは聖人のような人物だけと信じて、この半世紀間伝記作者たちはバッハの人生を「美化してきた」そうだ。
ジョン・エリオット・ガーディナー卿は、長年の研究の結果、伝記作者が作曲家に対する過度の畏敬の念から誤解を招く人物像を提示したのだと言う。彼らは、そのような驚異的で崇高な品位の音楽は批評も及ばない人物から生まれたに違いないという間違った推測から、彼を「厳正、勤勉、謙虚さの模範」と描写した。ガーディナーは「現実はとても違っているみたいで、バッハ像についてもっと正確でバラ色に染められていないバージョンをあなたは見たいですよね」と付け加えた。
学校の監督官報告を含むアーカイブ資料はバッハの教育環境がギャング戦争、いじめ、サディズムや男色などに曝されていたことを明らかにする。彼自身の頻繁な無断欠席もある。彼の初等学校、チューリンゲンのアイゼナハ・ラテン学校は、主にブルジョワ的な商人の子供たちが通っていた。しかし、ガーディナーによれば、文書記録では「乱暴、破壊的、悪党、飲酒、女漁り、窓破壊、短剣の振り回し等々…」男子を断罪していた。さらに付け加えて、『男子への残虐行為』という噂や、多くの両親が子供たちを自宅に置いていたのは病欠ではなく、学内外で起こっていることを恐れていたという証拠はさらに不穏だった。罰として、バッハの同時代人は鞭打ち刑と「永遠の天罰」の脅威に耐えた。そのような経験は彼に「消えない傷跡」を残したにちがいないと、ガーディナーは思っている。
ガーディナーは、バッハが通った3つの学校、アイゼナハ・ラテン学校、Ohrdruf Kloster校とLüneburg のMichaelis校で記録を調べた。報告書の様子から、学校当局では状況が手に負えなくなったのを非常に憂慮したようである。もちろんアイゼナハで、何か例外的なことがあった。ガーディナーが発見した「張本人」は、バッハが聖歌隊員であったOhrdrufの教会朗詠者を務める学級担任だった。その教師は「耐えられない罰」を与えるサディスティックな規律の厳格な人であった。結局、彼は「学校の悪疫、教会のスキャンダル、街のガン」として免職されたが、12才のバッハは「彼への異常に近い接近」に耐えたと、ガーディナーは言った。
Lüneburg町の記録の中に、彼は地元の宿屋で2人の男子学生の反社会的行動のレポートを発見した。「泥酔して、短刀とハンティングナイフで刃物沙汰」。そのひとりはバッハの先輩メンターであったと思われている。
ガーディナーは「彼が通った学校での不祥事の中で無傷に生き残っていくという典型的なバッハ青春期の伝統的な肖像をへし折り、バッハ自身が一連の非行学級委員、つまり姿を変えた十代の凶悪犯であったと信用するに足る」十分な証拠について書いている。彼は、バッハの最初の3年間で258日という頻繁な欠席が、母親の病気と家族の音楽ビジネスでの役割に伝統的に起因していると付け加えた。しかし、学校の状況は何ら魅力がなくむしろ脅迫的でさえあったかも知れないと、より不吉な解釈もあると彼は言う。
ガーディナーが研究で唖然としたのは、こうしたアーカイブの証拠が1930年代の研究で初めて認識されながら、バッハの伝記では完全に無視して美化されたことだ。「標準的な伝記がなぜそれを全く無視したのか、私には理解できませんでした。」
ガーディナーの研究は10月3日、ペンギン版「Music in the Castle of Heaven: A Portrait of Johann Sebastian Bach」として出版される。 息子として両親を、その後最初の妻も失い、そして彼の20人の子供たちの12人が3才に達する前になくなった(乳児死亡率が遍在したその時代でも、遙かに平均を上回る)ことなどが、バッハにとっては作曲が人生の乱気流の受け皿になったのだとガーディナーは主張する。暴力と家族の損失のバッハへの影響は推論的ではあるが、彼の私生活については過去400年のどんな一流作曲家よりも知られていることがずっと少ないため、彼の若い頃に対する洞察はひとつひとつが一層重要であると、ガーディナーは言う。
複雑過ぎて途方に暮れるくらいで、それでも立ち上がってそれに合わせて踊りたくなるほどリズミカルで、そしてこれほど心を打つ情感に溢れ、自分の存在という核心にまで動かされる音楽を作曲することができたのはどんな人だったのか知りたいと、私たちは切望する。