バッハのモテットBWV1149をピグマリオンが演奏しているのをYouTubeで観て大いに引き込まれたところで、小ミサ曲とカップリングされた彼らのCDがオーションに出品されているのに遭遇して、半ば衝動的にゲットした。Der Gerechte kommt um「義の人は滅ぶ」というタイトルのこの曲はCD発売された10年以上前にはBWV番号がなかったと思う。手許にあるガーディナーのCDにもモテットのタイトルしか書かれていない。
このCDに触手が動いたのは、裏表紙の底部に【ピションとの新たなインタビュー】と書かれていたからだ。その興味深い内容をここに書き留めておく。
音楽は生き物だ Raphaël Pichon 2015年5月20日インタビュー
このバッハの「ミサ・ブレヴィス」の録音は、アンサンブル・ピグマリオンとの初めてのアルバムで、その時あなたは22歳でした。2007年にあなたがこれらの作品を選んだことには、どのような意味があったのでしょうか?若き日の情熱、2年前に設立したばかりの若いアンサンブルの基盤を築くための必要性、あるいは指揮者としての思いを奏者に伝えるための挑戦だったとか?
当時、私たちは皆、大体22歳前後だったと言えるでしょう。それはまさしく冒険でした!私が人生で初めての感動と、音楽的な衝撃を味わったのは、『ヨハネ受難曲』をヴェルサイユ少年合唱団で歌った時でした。その後、思春期には、バッハと、彼のカンタータ、受難曲、モテットに対する尽きることのない好奇心に導かれていきました。また、カンタータの全曲演奏会にも定期的に参加して、これらすべてが私の糧となりました。従って『ピグマリオン』を立ち上げる際、バッハは自然と中心的な存在となっていて、私たちはまず、彼の作品の中でもあまり知られていない部分を取り上げ、それを補完的周辺レパートリーとして構築することを真っ先に考えていました。
「ミサ・ブレヴィス」は、当時まだあまり注目されておらず、『受難曲』や偉大な『ロ短調ミサ曲』の陰に隠れていた作品群でした。その演奏時間や形式の面で、我々のような若い音楽家にとっては理想的で、これらの小さな珠玉の作品は、極めて刺激的で野心的なものであると同時に、他の作品ほど濫用されていなかったという点でも恵まれていました。これらの小ミサ曲が表現する、高揚感、喜び、演劇性、奔放さ、そしてエネルギーなどの融合は、私たちにぴったりだったように思います。
ここまでの7年間を振り返り、またあなたの名声がますます高まっている今、この録音はどのような意味を持つのでしょうか?
このアルバムは、まだ歴史の浅いピグマリオンにとって決定的な節目となりました。というのも、この作品が話題を呼び……そして私たち自身も注目されるきっかけとなったからです。余談ですが、『ル・モンド』紙に掲載されたこのアルバムに対する最初のレビューは、ひどいものでした…… しかし、その少し後、このアルバムが「ディアパソン・ドール」の年間最優秀賞に選ばれたことを知りました!こうした賛否両論の批評は、素晴らしい学びの機会となりました。そして何よりも、私たちが提案するアプローチについて議論が巻き起こり始めたという点で、真の出発点となりました。当時、バッハは依然として主にオランダ人、ベルギー人、ドイツ人、そしてジョン・エリオット・ガーディナーの専有領域と見なされていました。私は当時、この音楽を自分たちのものとし、先人たちが残してくれた遺産を糧に、私たちの情熱とエネルギー、そして寛大さをすべて注ぎ込んで演奏することが重要だと感じていました。
このアルバムから何よりも強く印象に残ったのは、ひとつの団体が生まれて来たことの証しであることです。歌手やミュージシャンである友人たちの集まりから、私たちは、情熱と高い志、そして寛容さに満ちたプロの団体へと変貌を遂げたのです。このアルバムは、音楽的な追求と人間的な冒険の融合に基づいたプロジェクトを、まさに結晶化させたものでした。ある意味、私たちの思春期そのものです!
あらゆる音楽体験を惜しみなく享受されているにもかかわらず、録音でもコンサートでも、バッハがあなたの拠り所であり続けているようです。この作曲家との特別な親和性は、どこから来ているのでしょうか?
それはずいぶん昔に遡ります!私が小さい頃、特別カリキュラムのクラス(音楽・勉学クラス)に在籍していて、最初はヴァイオリンを習っていたため、音楽への取り組みは極めて孤独で、なかなか報われないものでした。特に情熱を注ぐこともなく音楽を続けていましたが、ヴェルサイユの少年合唱団で、とりわけバッハの曲を歌う機会を得たのです。そこで私が即座に魅了されたのは、心と知性との間に存在する、この信じられないほどの絶妙なバランスでした。バッハの音楽は、その「精密な仕組み」を自覚していない10歳の幼い子供の心さえも深く揺さぶることができます。その子が作品の意図や構成、完璧な和声といった要素をすべて理解できなくても、魂の最も深い部分で感動させられるのです。
バッハに備わるこのバランスは、私をこの先も魅了し続けるでしょう。彼の音楽からは並外れた感情的な力が溢れ出て来ますが、それは単なる本能の反映ではなく、同じく並外れた精神によって構築された深遠な思考の反映なのです。私たち音楽家にとって、彼の音楽は最も深遠なもののひとつで、そのすべての側面を探求するには、一生をかけても足りないほどです!『ピグマリオン』の中心にバッハを据えることは当然の選択でした。なぜなら、彼を軸に、さまざまな冒険からなる一貫性のあるレパートリーを構築しつつ、その探求を際限なく続け、ひいてはバッハに対する私たちの解釈をさらに豊かにすることができるからです。
私が当初からこの作品群と結びつけたいと考えていたもうひとりの人物は、ラモーです。彼の名前そのものが『ピグマリオン』を彷彿とさせ、今日、私たちが深く関心を寄せている人物でもあります。彼は『ピグマリオン』の演劇的・抒情的な側面を体現しています。ラモーはバッハと多くの共通点を持っています。彼もまた偉大な理論家であり、当時の重要な知識人であり、「音楽は心の言語である」と私たちに語りかける作曲家であり、彼にとって舞踊は不可欠な要素でした!彼の抒情作品に登場する舞曲たちは、フランス音楽の頂点と言えるものです!そして、舞踊はバッハの音楽全体、声楽作品も器楽作品も問わず、その隅々まで浸透しているのです。
あなたのミサ曲は、まさに踊りや力強さを与えるエネルギーを放っており、その熱量と生命への渇望が、楽譜の神的なものをほとんど解(ほど)いていくかのようです。道徳や神秘主義の重圧が薄れ、色彩のきらめきが増しています。あなたの声楽や楽器の選択も、決して偶然ではありません。それらにどのようなインスピレーションを受けたのでしょうか?
「道徳や神秘主義の重みが軽減される」とは、必ずしも言いたくありません…… むしろこう答えるほうが自然でしょう。すなわち、これらのミサ曲から滲み出るリズミカルでダイナミック、そしてハーモニックな高揚感を具現化し、それが伝える信仰のメッセージに役立てること。バッハの新しい演奏家たちには、彼の死後かなり経ってその音楽が再発見された時代に、バッハという人物が利用されてきたことに対する反動を見ることができると思います。その厳格で神秘的、そして避けては通れない存在として、音楽そのものよりもむしろ器楽や作曲の技術として教えられてきたこの像は、バッハ本人とは何の関係もなく作り直したものに過ぎません。私たちは、バッハを距離を置いて見るべきではないと私は思っています。もちろん、彼自身も記しているように、彼は生涯を「神の栄光のみのために」捧げました。彼が他のどの作曲家よりも人間の本質を捉えていたとしても、彼の音楽は私たちにいつまでも希望を抱かせてくれます。最も深い闇の後にさえ光に包まれ、踊りの息吹に満ちたバッハの宗教音楽は、劇的な音楽の最も傑出した表現のひとつです。オペラを一切作曲しなかったにもかかわらず、バッハは音楽史上最も劇的な作曲家のひとりなのです!
つい最近、ケイティ・ミッチェルと共にカンタータの舞台演出を手掛けられましたね。また、バッハは「オペラに取り組むための極めて自然な入り口」であると述べられていました。その理由は、そこではすべてがドラマだからだと。これらのミサ曲も、舞台化に適しているのでしょうか?
ありとあらゆることは想像可能ですが、私はバッハのミサ曲を舞台化することは想像できません。それらはそれ自体で完結した作品であり、ラテン語の典礼文に基づいているからです。カンタータも確かにそうですが、それらは大抵敬虔派の詩に基づいています。しかし、ケイティ・ミッチェルとの公演は、作品に対して自由な解釈を加えるという決断から生まれました:私たちはあえてカンタータを分解し、そこからいくつかの場面を抜き出し、それらを再構成することで、登場人物たちの内面的な旅路のようなものを描き出しました。ケイティ・ミッチェルには、私が『受難曲』の舞台演出を大変高く評価しているピーター・セラーズと同様に、バッハの音楽がそれ自体で完結しているという深い認識があると思います: 彼らは音楽に奉仕し、極めてシンプルな手法によって、イメージや視覚的・感覚的な文脈を創り出す意志を持っています。それによって、私たちは特別な形で音楽を聴き、それを私たちの日常や人間性へと結びつけ、そうしてある種の障壁を越えていくことができるのです。
18世紀の音楽の原点に立ち返るには、本質的な調査実施を必要とします。しかし、今日、バロックのレパートリーに取り組むということは、ひとつの完璧な再現であるよりも、むしろアプローチの試みであり、リスクを冒すことであり、楽譜に対する本能的かつ理論的な裁量なのではないでしょうか?
まず強調しておきたいのは、私の世代は、先人たちが積み重ねてきた基礎的な研究の成果に支えられて成長できたという幸運に恵まれていたということです。私にとって、バッハを古楽器で演奏すべきか、現代の楽器で演奏すべきかという疑問は、一度も浮かんだことがありません!同様に、今日では「バロック」という用語は不適切なものであり、この歴史的時代の中には多くの異なる潮流が存在することが認められています。こうした大きな問いはすべて、1960年代から、そして本格的には1970年代から1980年代にかけて、これらのレパートリーを演奏伝統とは一線を画そうとの思いを持つ世代によって提起されました。私自身も、彼らが最初に提示した答えや研究成果とともに成長してきました。もちろん、まだやるべきことは山ほど残っています。裁量の作業、作品の理解は不可欠ですが、もはやかつてのような「決別」を目的としたアプローチではありません。
私たち若い音楽家にとって、その結果として、今、私たちには責任感を持つ必要があるということです。これらすべてをどう扱うべきか?どうすれば、ささやかながらも物事を前進させることができるのか?私の答えは決まっているわけではなく、まだ非常に未定ですが、何が何でも忘れ去られた楽譜を探し続けようとするのが、必ずしも唯一の答えとは限りません。私にとっての答えの端緒は、一部の偉大な作曲家たちには、まだ解明されていない部分、つまり彼らの個性や作品に隠された側面があり、それらに命を吹き込む必要があるということです。これらの小ミサ曲や、1733年の『小さなロ短調ミサ曲』、宝と教訓に満ちたラモーの偉大な悲劇作品の未発表版、そして古楽器を用いた現代の創作作品などには、こうした考えが込められていました……私にとって、こうした取り組みは、レパートリーの偉大な傑作に取り組むための理想的な糧となるのです。
一部の指揮者は、声や発音、歌詞のフレーズを、楽器を扱う際の指針としています。もともと歌手だったあなたも、そのような考えをお持ちですか?
はい、もちろん、声の影響はあります。それは我々が意図して選ぶというより、その音楽そのものの言語がそれを決定し、必然的にそうさせるのだと思います。実際、私は10代の頃、器楽奏者としても歌手としても成長する幸運に恵まれました。また、歌手として短期間ですがプロとしての経験も積むことができました。ですから、私にはこのふたつのアプローチがあり、それがピグマリオンとの仕事において、声を楽器として扱い、楽器を声として使うことを核心に据えさせています。どうすればオーケストラを歌わせることができるか?合唱団で、楽器のような正確さと音色の多彩さをどう実現するか?。この器楽と声楽の融合こそが、私の仕事の根底にあるものだと感じています。
現在、ご自身のアンサンブルを率いる立場として、何よりも伝えたいことは何でしょうか?
とてもシンプルな答えになりますが、何よりも伝えたいのは、音楽 ― とりわけ、どんな時代や文化にも存在する「偉大な」音楽 ― が、人々の人生を変え、その人生を本質的に豊かにすることができる、という事実です。これは芸術全般に言えることですが、とりわけ音楽は身体的な感覚や五感と結びついているため、その傾向が顕著です。この比類なき豊かさを生き生きと表現し、聴衆にその魅力を伝えることこそが、私たち音楽家としての使命の真髄であると思います。
もし今日、これらのミサ曲を再録音する機会があったとしたら、何か変更を加えますか?
「はい」も「いいえ」もです。いいえ、と言うのは何も後悔がないからです。このアルバムは当時、深い誠実さと意志、エネルギーが混ざり合ったものでしたし、私たちには経験が乏しかったため、困難も伴っていました。このアルバムは、あえて言えば不完全ですが、根底には誠実さが流れています。その点については、変えたくありません。一方で、もし明日、再録音の提案をいただいたとしたら、多くの点を変えるでしょう。私自身も変わりましたし、ピグマリオンも進化しましたし、私たちのサウンドも変わったからです。それこそが、この仕事、そして音楽全般の豊かさと活気の源なのです。それはまさに生き物のようなものなのです!
