Sunday, September 5, 2010

ガーディナーの「モンテヴェルディと私」 - Monteverdi and Me


モンテヴェルディ合唱団のニュースサイトにガーディナーがヴェスプレを足掛かりに指揮者になった昔話をしている。これはガーディアンからの転載で、トム・サービス氏のインタビューに答えたものだ。内容を訳してみた。

The news page of Monteverdi Choir website features the old story of how Sir Gardiner turned to be a conductor in relation with the Vespers in his early days, as interviewed by Tom Service in the Guardian. I have translated the first half of the content as follows:


私がモンテヴェルディに接したのは、8歳の時まで遡るのですが、私たちが住んでいたドーセットの近くのブライアンストンでサマー・スクールがあって、校長のウィリアム・グロック氏はそこにブリテン、ティペット、ヒンデミット、ストラヴィンスキー、ホルストなどを招聘していました。1950年代の初め頃、彼はマリピエロ版のモンテヴェルディ・マドリガル集を手に入れ、フランスからナディア・ブーランジェが教えにやって来て、それを指揮したのです。私はそこに参加していて、20世紀の偉大な教師の下で、子供ながらその素晴らしい音楽を歌ったのです。
私がモンテヴェルディの音楽に感化されたのはそれが始めですが、その後もっと大きな感銘を「ヴェスプレ」から受けました。50年代後半にヨーク大聖堂でワルター・ゲールが指揮するロンドン交響楽団の演奏を放送で聴いたのです。我が家ではいろんな音楽をやっていましたが、こんな音楽を聞く準備は私には全然なくて、その豊潤で、魅惑的で、圧倒的なドラマ性にはまってしまったのです。いつかこの音楽に取り組んで自分で指揮したいとの思いが心の中で芽吹いたのはその時だったかなという気がします。
ケンブリッジ在学中に、自分がまだどの道に進むのか定かでないまま、その時は歴史を学んでいて、特に中東との関わりが強かったのですが、ひとつの機会が来ました。私の先生だった社会人類学者のエドムンド・リーチ氏から、1年間だけ休学して音楽家として進むべきか見極めてはどうかと親身に言っていただいたので、それを試すためにキングス・カレッジの教会でヴェスプレの演奏を組織して指揮することに決めたのです。
デニス・アーノルドの主張はそれをひとつの作品として捉え、ヴェスプレを構成する個々の詩篇、モテット、賛美歌、ソナタ、聖歌をアマディーノが1610年に出版した時の順序のままで演奏することでした。当時の音楽学におけるシャーロック・ホームズ的存在だったサーストン・ダートは私自身の版を作ってみるように勧めてくれました。合唱団作りを始めた私はロンドン・カレッジから女声陣を補強し、男声陣は全員ケンブリッジから集めました。私は厚かましく合唱研究者のオーディションまでしましたが、彼らもレイモンド・レッパードと平底船上で風変わりなマドリガルを歌ったことがあるくらいで、モンテヴェルディの楽譜を見たことなどなかったのです。彼らには全く異質のスタイルで歌ってもらいました。謙虚なケンブリッジ・スタイルの耳当たりの良さと流暢さではなく、鮮明な色彩、劇的さ、活気、熱気を求めていて、それらこそモンテヴェルディの音楽スタイルの真骨頂だと私は考えていたのです。
ロバート・ティア、ジョン・シャーリー・カークなどの歌手、サイモン・プレストン、アンドリュー・デイヴィス、デイヴィド・マンロウなどの音楽家と出会えたのも幸運でした。1964年3月5日の演奏会はちょっとした話題になりました。荒っぽいやっつけ仕事だったかも知れませんが、私にとってはそれが天啓で、指揮者としての道を歩む答えとなったのです。

以上が前半部分。あとはプロムスで控える19回目の演奏会に向けてのヴェスプレの話が続く。

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